眠っていた娘
移民船が故障したとき、乗員の多くは人工冬眠に入っていた。
航法技師だった母だけが目を覚まし、八歳の娘を眠らせたまま修理を続けた。到着まで二年の予定が、二十九年になった。
【航海記録・九年目】
〈今日はあなたの誕生日。冷凍庫の苺を一粒使った。起きたら叱られるかな。あなたは八歳のままだから、まだ苺を半分に切るべきか迷う〉
【航海記録・十七年目】
〈髪に白いものが増えた。鏡を見ると、あなたのおばあちゃんに似てきた。目覚めたあなたは、私を母だと信じられるだろうか〉
【航海記録・二十八年目】
〈着陸装置を直した。右手がもううまく動かない。あなたの靴ひもを結べるうちに、着きたい〉
新世界へ到着した朝、娘は八歳の体で目覚めた。
眠る前に若かった母は、七十歳近い老人になっていた。頬は痩せ、背中は曲がり、声も記憶と違った。
「お母さん?」
「そう。ずいぶん待たせたね」
娘は泣かなかった。母の手を確かめるように握った。
その後の暮らしは、母が想像していた親子とは逆になった。
娘が靴ひもを結び、薬を分け、階段で母の肘を支えた。学校で文字を習う前に、老いた体を介助する方法を覚えた。
母は何度も謝った。
「あなたの子ども時代を、こんなふうにしてしまった」
娘は返事をせず、航海記録を毎晩一つずつ聞いた。そこには、眠る自分へ話しかける若い母の声が残っていた。
最後の記録だけ、再生されていなかった。
【航海記録・二十九年目】
〈明日、あなたを起こす。怖い。私を知らない人のように見るかもしれない。それでも、最初に言う言葉は決めている。おはよう。大きくなったね、と〉
娘は再生を止めた。
「私、全然大きくなってないよ」
「そうだね」
「お母さんだけ、ずるい」
母は笑ったあと、顔を覆った。
娘はその小さくなった背中へ腕を回した。
「でも、二十九年ずっと、私のお母さんだったんでしょ」
新世界で迎える初めての夜、二人は同じ寝台で眠った。
今度は娘が先に目を覚まし、朝食を用意した。苺を一粒、半分に切って皿へ置く。
母が起きると、娘は航海記録の言葉を借りた。
「おはよう。大きくなったね」
母はしわだらけの手で、八歳の娘の頭を撫でた。
年齢も、役割も、予定とは逆だった。
それでも二人は、互いを育てるところから、親子の続きを始めた。