眠り草の温室

温室の扉を開けると、眠り草の花が一斉にこちらを向いた。

ナディアは「おはよう」とだけ言い、籐椅子に座った。

あとは露の精たちの仕事だ。青い光の粒が葉を撫で、薬効の満ちたものだけを摘み、乾燥棚へ並べていく。茎を傷つけず、若い芽を残し、同じ株から取りすぎない。王宮薬房で十年働いたナディアより、ずっと丁寧だった。

その王宮で着ていた白衣は、温室の隅の箱に入っている。袖口には薬染み、襟には洗っても落ちなかった汗の跡。夜会の待機、騎士団の訓練待機、王族が眠れない夜の待機。いつ呼ばれるか分からないまま眠る癖が、辞めて三か月たっても抜けなかった。

けれど今朝、温室で鳴っているのは悲鳴でも呼び鈴でもない。

乾いた葉が瓶へ落ちる、さらさらという音だった。

壁の会計板に文字が浮かぶ。

《眠り草二十瓶、街の薬舗へ納品。代金受領済み》

今月の食費と温室の維持費を払っても余る。ナディアは金額を一度確認し、すぐ板を閉じた。

もっと摘めばもっと売れる、と考える癖が頭をもたげたが、露の精たちは必要量を終えると眠り始めた。増産の命令を出す理由はない。足りているなら、そこで終えていいのだ。

その瞬間、箱の中の古い呼び出し晶が震え始めた。捨てたつもりで、まだ入っていたらしい。

『今夜の晩餐会、治療係が足りない。戻ってこい』

王宮薬房長からだった。

『契約は終了しています』

『一晩だけだ。陛下もお前の腕を評価している』

『在職中には聞きませんでした』

『報酬は倍出す』

ナディアは、露の精が摘み残した小さな蕾を眺めた。まだ早いものは、早い。それだけの判断を、誰も怒鳴らずに受け入れている。

『今夜は眠る予定です』

『仕事より睡眠を選ぶのか』

ナディアは少しも迷わなかった。

『はい』

呼び出し晶の魔力を抜き、箱の底へ戻す。温室の奥には、昨日借りた冒険小説と、柔らかな長椅子がある。

眠り草の香りに包まれながら、ナディアは本を開いた。三頁目まで読んだところで欠伸が出たので、栞を挟まず、そのまま横になった。