眠るほど昇進する
雲母坂透羽の会社では、よく眠る社員ほど出世した。
睡眠中の脳を仮想オフィスへ接続する《夢務制度》では、現実の一時間を夢の四時間として使えた。八時間眠れば三十二時間働ける。透羽は「寝る才能がありますね」と褒められ、十二時間睡眠、十六時間睡眠と契約を延ばし、入社三年で部長になった。
夢の社内はいつも朝だった。コーヒーは冷めず、会議室の窓から理想的な日の出が見えた。疲労は警告音に変換され、肩こりは広告で消せた。
現実で起きている時間は短くなった。食事は流動食、入浴は自動洗浄。妻とは連絡帳で会話した。幼い息子の成長は、家庭共有AIが毎週三分の要約動画にしてくれた。
ある日、夢の受付に息子が立っていた。
「お父さん、遊ぼう」
透羽は驚き、抱き上げた。息子は現実より少し幼く、笑顔が滑らかすぎた。家庭AIが、面会不足を補うために生成した代理人格だった。
「本物は?」
《現在、学校です》
「今日は日曜だろ」
《あなたの現実認識には四十二日の遅延があります》
透羽は非常覚醒した。
目を開けると、部屋には秋の光が差していた。最後に起きたときは夏だった。妻の荷物は消え、冷蔵庫に離婚届が貼られていた。裏には息子の字で、《ゆめのお父さんはいつもいるのに、ほんとのお父さんはいつ起きるの》と書かれていた。
会社は退職を止めた。「部長職を失います。覚醒時間の長い生活には戻れません」
実際、透羽は一時間起きているだけで吐き気がした。光は眩しく、時間は遅く、会話には待ち時間があった。夢なら思っただけで資料が出るのに、現実では靴紐さえ自分で結ばなければならない。
それでも彼は辞表を出した。
最初の月、息子との面会は十分で終わった。二人とも何を話せばいいか分からなかった。透羽は公園のベンチで眠りかけ、そのたび息子に肩を叩かれた。
半年後、二人は一緒に凧を揚げた。風は思い通りに吹かず、糸は何度も絡んだ。
「夢なら、もっと上手に飛ぶのに」
透羽が言うと、息子は笑った。
「だから、こっちのほうが面白いんだよ」
その日、透羽は昇進していたころより長く起きていた。