砂肝とにんにくの残り香

店主が換気扇のスイッチへ手を伸ばしたところで、戸が開いた。入ってきた若い客は、背中に筒状の図面ケースを提げていた。

「閉店ですよね」

「アヒージョ一つなら、油が温まってる」

客はうなずき、カウンターへ座った。

小さな鉄鍋に砂肝が落ちる。オリーブ油が細かな泡を立て、薄切りのにんにくが端から金色に変わった。唐辛子の乾いた匂いと、焦げる寸前のにんにくの香りが混ざる。砂肝を返すたび、油がちりちり鳴った。

客は映像制作会社でデザインをしている。今日、半年かけて作った新規企画のキービジュアルが、会議で一分も映されずに却下された。「今っぽくない」の一言だった。帰り道でポートフォリオの公開設定を外し、転職サイトの自己紹介欄まで空にした。図面ケースの中には、採用時に褒められた古い作品まで丸めて押し込んである。

鉄鍋が木の台に置かれる。熱で油がまだ震えていた。

「匂い、明日まで服に残りそうですね」

客が苦笑すると、店主は換気扇を回し直した。

「香りは残る」

良いとも悪いとも言わなかった。

砂肝は外側が硬く、中はしっとりしていた。噛むと、塩とにんにくの味が何度も戻ってくる。熱い油に舌を急かされ、客は一口ごとに水を含んだ。却下された絵の色合いが、油の表面に浮かぶ赤い唐辛子と重なった。

スマートフォンを開き、非公開にしたポートフォリオへ戻る。すべてを公開し直す気にはなれない。けれど、会議で一度も映されなかった案だけを別名で保存し、明日の昼に、以前仕事をくれた小さな制作会社へ送る予約を入れた。本文は短くした。

《方向性が合えば、ご意見をください》

評価が返る保証はない。今っぽくないという言葉も消えない。転職するかどうかも分からない。ただ、見られなかった一枚を、自分まで見なかったことにはしたくなかった。

鍋の火は消えても、油はしばらく泡を上げていた。最後の砂肝を噛み終えたあとも、にんにくの熱い香りが喉の奥に残り、店の外の冷たい空気へ出ても消えなかった。