祭壇の向こう

夫の一周忌で、妻は親戚の前へ出たくなかった。

夫婦仲はよかったと皆が言う。

実際には最後の一年、病気の夫へ何度も腹を立てた。

薬を飲まない。

弱音を吐かない。

妻を心配させまいとして、何も相談しない。

愛していたが、優しくできない日も多かった。

仏具店でもらった薄い黒布を肩へ掛けると、線香の煙がある間だけ姿が消えた。

妻は祭壇の脇に座り、誰にも見えないまま親戚の話を聞いた。

「奥さん、立派だったね」

「ずっと献身的で」

「夫婦の鏡だ」

妻は逃げ出したくなった。

本当の自分を誰も知らない。

台所では、娘と息子が茶を用意していた。

娘が言った。

「お母さん、また自分を責めてると思う」

息子は、

「父さんも悪かった。痛いって言わないから」

と答えた。

「でも、お母さん、最後に怒鳴ったこと気にしてる」

「父さん、聞こえてたかな」

「聞こえてたよ。手、握ってた」

妻は知らなかった。

最後の夜、

「一人で全部決めないでよ」

と怒鳴り、病室を出た。

戻ると夫は眠っていた。

あの言葉が最後だと思っていた。

娘は続けた。

「父さん、私に言った。怒られると、まだ一緒に暮らしてる感じがするって」

息子が笑った。

「変な人」

線香が短くなり、黒布の力が切れそうだった。

妻は、子どもたちが自分を慰めるため話を作っている可能性も考えた。

夫の本心はもう確かめられない。

それでも、完璧な献身という作り話より、怒られながら生きていた夫の方が、ずっと近く感じた。

煙が消え、妻の姿が現れた。

娘と息子が驚いた。

「いつから聞いてたの」

「夫婦の鏡あたりから」

三人で笑った。

法要の挨拶で、妻は立派な言葉をやめた。

「私は夫に優しくできない日がありました。夫も私へ何も言わない人でした。それでも、一緒に暮らしました」

親戚は困った顔をした。

一人だけ、夫の兄が大きくうなずいた。

「子どもの頃から、何も言わないやつだった」

法要のあと、家族は夫の悪口を一つずつ話した。

祭壇の写真は、相変わらず穏やかに笑っている。

黒布は仏具店へ返さなかった。

ただ二度と使わなかった。

見えない場所で本音を聞くより、見える自分の不完全さを、家族の前へ置けるようになったからだ。