空欄の連絡網
転校前日、木賊はクラスの連絡網を一枚もらった。
今では使われていない古い紙で、担任が机の奥から見つけたらしい。名字と電話番号が、木の枝のような線でつながっている。木賊の欄だけ、番号が二重線で消され、その下が空白になっていた。
「新しい住所、わかったら書いとけ」
担任は冗談で言った。
放課後、木賊は連絡網を机へ広げた。周りにクラスメイトが集まり、余白へ勝手に書き込み始める。
『ゲームのID』
『返してない漫画 三巻』
『昼休みは屋上禁止』
『好きなパン 焼きそば』
電話番号より役に立たない情報ばかりだった。
木賊は笑いながら、自分の空欄へ新しい住所を書こうとした。
町名の漢字が出てこない。
母親から送られたメッセージを開く。郵便番号、県、市、知らない字の並び。転校先の校名も、まだ口に馴染まない。
ペン先が止まると、隣の女子が紙を引き寄せた。
『未定』
大きくそう書いた。
「住所、決まってるけど」
「じゃあ、気分が未定」
「何それ」
「戻ってくるかもしれないし」
「父親の転勤だよ」
「遊びに」
「遠い」
「電話」
「この紙、番号古い」
「じゃあ手紙」
「住所を未定にしたの誰」
皆が笑った。
木賊も笑ったが、胸の奥では別のことを考えていた。連絡先を全部交換しても、話さなくなる相手はいる。何も知らなくても、忘れない声もある。つながる線は、紙に書いた数だけではない。
最後に、一番下へ担任が赤ペンで付け足した。
『連絡事項――木賊が転校したことを、木賊へ知らせる』
「もう知ってます」
「念のため」
「誰が連絡するんですか」
「一番暇なやつ」
「全員でいいだろ」と誰かが言った。
紙の上に、三十一本の矢印が木賊の空欄へ向かって描かれた。線は重なり、電話番号も文字も見えなくなった。
木賊はその連絡網を、折らずに持ち帰った。
引っ越し先で机を開いたとき、紙の端が少し破れていた。矢印の先には、まだ『未定』とある。
木賊は新しい住所を書かなかった。
代わりに、その下へ小さく書いた。
『到着済み』
送る相手のいない連絡だった。
それでも紙の向こうから、三十一人分の「了解」が返ってくる気がした。