竜王の血を溶かす酒
竜人の国では、王を選ぶ前に毒杯を交わす。
挑戦者ガイラムは、玉座の前で巨大な杯を受け取った。中には火山色の酒。闘将ゼドが百の毒竜から集めた〈竜血溶かし〉である。
「鱗だけ硬い臆病者が、これを飲めるか?」
ガイラムは答えず、兜も脱がずに飲んだ。
酒が喉へ落ちた瞬間、床の溝から蒸気が噴き上がった。毒は竜人の血と反応し、体内温度を千度まで上げる。観衆の鼻を、焼けた鉄の臭いが刺した。
ゼドは腕を組み、崩れ落ちるのを待つ。
だが蒸気の向こうで、杯が床に置かれる音だけがした。
「薄いな」
ガイラムの声だった。長老席では、彼を〈鱗磨き〉と蔑んだ者たちが顔を見合わせていた。王候補の誰より地味な職が、王国最悪の毒を酒のように受け入れている。
蒸気が切れ、彼は杯を置いた姿勢のまま立っている。赤い鱗には曇りすらない。
ゼドの瞳孔が細くなった。杯の縁は毒で溶けている。闘医が駆け寄り、残液を試験鱗へ落とすと、王族の鱗さえ泡になった。観衆のどよめきが止む。竜血溶かしは本物だ。効かなかったのではない。届いたうえで、何も起こせなかった。しかもガイラムは、毒を防ぐ構えすら取っていない。杯を置く指先には、震えも火傷もなかった。
「ならば外から焼く!」
ゼドは竜化し、天井を押し上げるほどの翼を広げた。王座の間すべてを焼く〈黒陽息〉。毒で内側を崩し、息吹で外側を消し飛ばす二段の処刑だ。
黒い火球がガイラムを呑み、石柱を飴のように曲げた。爆煙が王座を覆う。観衆は伏せ、ゼドは息を吐き切るまで炎を止めなかった。
やがて煙が晴れる。
ガイラムは同じ姿勢で立っていた。足元だけが円形に残り、周囲の床は谷のように抉れている。
「俺の職は〈盾鱗〉ではない」
兜を取ると、額に金色の職紋が現れた。
「〈不落界〉。俺が立つ場所では、俺を倒す結果そのものが成立しない」
ゼドは喉を鳴らした。敵が硬いのなら、さらに強く殴ればいい。だが、勝敗の片側が世界から消されているなら、力には意味がない。
王座を奪うため一度も退かなかった闘将ゼドが、一歩退いた。