笑顔のノイズ
綺堂メルの死後、デビュー五周年の午前零時に新曲が投稿された。公式は「本人が生前に予約した最後の贈り物」と発表した。
元衣装係の浅葱絢は、配信会場の最後列で再生を見守った。ステージ中央には空のマイク。最前列には、メルを発掘したマネージャーの狛江修吾が座っている。
イントロは、カメラのシャッター音を刻んだ軽いダンスポップだった。画面のメルは完璧に微笑んでいる。
「笑って」
甘く加工された声が、跳ねるビートに乗った。
絢はその言葉を何百回も聞いた。メルの頬に指の跡が残った日は、濃いファンデーションで隠した。食べられずに倒れた日は、ウエストを詰めた衣装を着せた。助けられなかった罪悪感から、絢は事務所を辞めても彼女の配信を見続けていた。熱があっても、足首を捻っても、狛江は鏡の前で口角を指した。商品なんだから、顔を作れ。メルは笑うたび、衣装の袖口を強く握った。
再生画面には笑顔判定のゲージがあり、メルの口角が上がるたび百点を示す。あまりに明るい演出が、絢には葬列の照明より冷たく見えた。
Aメロの背景に、かすかなノイズがある。息を殺した泣き声。ファンは演出だと思い、ハートを連打する。
「もっと」
サビに入った瞬間、伴奏が消えた。
暗い楽屋の音が、無加工で会場を満たす。
――笑え。売り物だろ。
――もう無理です。
――笑顔なら、誰も気づかない。
狛江の声だった。
スクリーンのメルは笑顔を崩さない。だが最後のサビだけ、歌詞が一語変わる。
「あなたが笑って」
会場のカメラが自動で客席を走査し、狛江の顔を巨大画面に映した。彼は立ち上がろうとしたが、左右から記者に塞がれる。頬が引きつり、唇だけが震えていた。
最後の一音は、再びシャッター音。
その瞬間の顔が静止画になり、画面いっぱいに保存された。
「笑って」
今度その言葉は、アイドルに笑顔を強いた命令ではなかった。
逃げ場を失った男へ、死者と何万人もの観客が向ける撮影の合図だった。