翡翠の矢筒
ラーサは翡翠の矢筒を空にした。
矢は残り三本だった。一本は斥候に、一本は虎に、最後の一本は弟へ使った。敵に生け捕られぬためだった。
雨林の王国では、王族の近衛だけが翡翠を編み込んだ矢筒を背負う。夜でも虫火を拾い、緑に光る。追うダラ軍は、その光を王女ティエラの所在と信じていた。
「王女は西の水路へ入られました」
舟師のパクナが囁いた。
「敵は?」
「半里後ろ。犬を連れています」
ラーサは矢筒へ石を詰めた。重さを出すためだ。次に、王女の赤い髪紐を口へくわえ、矢筒の蓋へ結んだ。
「それをどこへ」
「東の滝へ流す」
東の流れは速く、翡翠の光を遠くまで運ぶ。だが滝の下は袋谷で、舟を下ろせない。敵が矢筒を追えば、主力は西の葦海を抜けられる。
パクナは首を振った。
「空の矢筒は浮き方が違う。犬でなくても分かる」
ラーサは自分の腰布を裂き、石の隙間へ詰めた。弟の血が乾いた布だった。雨に濡れても、まだ鉄の匂いがした。
「これなら王女を乗せた小舟ほど沈む」
「あなたの匂いを追われます」
「近衛の匂いだ。間違いではない」
二人は川の分岐へ着いた。雨粒が大葉を叩き、泥水には蛍の死骸が流れていた。西には細い葦道、東には白い飛沫。ここで迷えば、王女の舟も追手の犬も同じ距離だけ近づく。王女を乗せた舟は音もなく西へ滑った。ティエラは何も言わず、胸元のもう一本の髪紐を切ってラーサへ投げた。
ラーサは受け取らず、川へ落とした。形見を持てば帰る気になる。近衛に必要なのは忠義ではなく、帰り道を自分で潰せることだった。
翡翠の矢筒を東流へ置く。緑の光が一度沈み、赤い紐を揺らして浮いた。
すぐ背後で犬が吠えた。追手の松明が木々の間に現れる。
ラーサは西の葦を踏まぬよう、東岸を走った。わざと枝を折り、泥へ深く足跡を残す。敵将は矢筒と足跡を同じ答えと読むだろう。
滝の轟音の向こうから、敵の角笛が東進を告げた。
西の闇では、王女の舟が砦へ着いた。木柵の上に、雨に濡れた金豹旗が上がった。