腕時計のない散歩

実花は、休養日の歩数まで記録していた。

フィットネスジムでインストラクターをしているせいか、休むことにも数字が必要だった。疲労回復のための軽い散歩、睡眠の質を上げるストレッチ、筋肉を落とさない食事。何もしない時間は、正しい休み方を調べる時間に変えた。

その朝、右足首に鈍い痛みがあった。昨日のレッスンで着地を失敗したせいだ。休館日で出勤はない。実花はベッドの中で運動記録を開き、前週の自分と比べた。日曜日の歩数は九千八百二十。今日も同じくらいなら、体力を保てる。痛みは歩き始めれば消える気がした。

ウェアに着替え、玄関でスマートウォッチを腕につける。輪の内側には汗が乾いた白い跡がある。充電は四十一パーセント。二時間なら足りる。

靴紐を結んだところで、足首が小さく脈打った。

痛みを理由に休むのは、体を甘やかすことだと思ってきた。生徒には「無理しないで」と言えるのに、自分の痛みは怠慢と区別できなかった。鏡の前で笑顔を作り、調子が悪い日ほど元気に動く。そうすれば仕事を選んだ自分を裏切らずに済んだ。

実花は玄関のたたきに座り、スマートウォッチの開始ボタンを押した。画面に「屋外ウォーキング」と出る。三、二、一。カウントが始まる直前、停止に触れた。

それだけでは足りず、腕から時計を外した。棚の小皿に置く。丸い画面が天井を向き、心拍を探せなくなった。

実花は靴を履いたまま外へ出た。歩かないと決めたのではない。コンビニまでなら行けるかもしれない。公園のベンチに座ってもいい。ただ、何歩だったかを知らないまま帰ることにした。

朝の道には、犬を連れた人や、買い物袋を提げた老人がいた。誰も一定の速度では歩いていない。実花は横断歩道の手前で信号が点滅すると、走らずに止まった。青が一度終わるのを見送った。

公園の入口まで来ると、足首がまた痛んだ。実花は最初のベンチに座り、持ってきた水を飲んだ。汗はかいていない。達成感もない。アプリに残る記録もない。だからこの時間は、あとで誰にも見せられない。

風が膝の上を通り、街路樹の葉を裏返した。実花は十分ほど座り、来た道をゆっくり戻った。玄関の小皿で時計は暗いままだった。

歩数のない午前を、実花は運動不足として入力しなかった。痛む足をクッションに載せ、ソファで横になる。今日休んだぶんを明日取り戻す予定も、立てなかった。