裏向きの寝床
二十五歳の柊木場玄弥は、睡眠アプリのレビュー欄で「枕返し」という隠し機能を知った。端末を枕元に置き、眠っている間に夢の内容を録画する。東北の一部に残る《枕返し》の作法を模したものだと、投稿者は説明していた。
起動画面には警告が一つだけ出た。
《鏡合わせが始まったら、朝まで画面を下向きにしてはいけない》
前面カメラに寝顔を映し、画面の中と現実の枕を合わせる。午前二時、アプリが〈鏡合わせを開始します〉と表示した。
玄弥は眠れず、横目で画面を見ていた。映っている自分は目を閉じているのに、現実の彼は開けている。やがて映像の方だけが寝返りを打ち、カメラの外へ消えた。
そのとき、宅配ボックスの誤配を知らせるインターホンが鳴った。室内モニターが点灯し、枕元が明るく照らされた。管理人に寝顔を見られたくないと思い、玄弥はスマートフォンを裏返した。
一度だけだった。
画面を下にした瞬間、布団の裏側から重みが加わった。誰かが床とマットレスの間へ潜り込み、同じ姿勢で横たわったようだった。
玄弥は朝まで動けなかった。
日の出後、端末を持ち上げる。アプリは消えていた。代わりに睡眠記録が二件ある。
【表側】睡眠時間 0分
【裏側】睡眠時間 6時間42分
録音データには、床下から聞こえる寝息と、玄弥自身の声が入っていた。
「そっちは明るい?」
彼はそんなことを言っていない。
睡眠映像を一コマずつ追うと、午前二時三分からカメラの向きが変わっていた。端末は上向きのはずなのに、映っているのはベッドの裏、床に押しつけられた玄弥の横顔だった。映像の玄弥は目を開け、六時間ずっと天井側を指さしている。
最後のフレームだけ、布団の上で眠る別の玄弥がこちらを覗き込んでいた。
出勤しようと玄関へ向かうと、インターホンの来訪履歴が一件増えた。午前二時三分。映像には、玄弥と同じ顔の男が廊下に立ち、カメラへ背中を向けている。
再生が終わると、室内モニターに呼び出し表示が出た。
〈来訪者:柊木場玄弥〉
床下でスマートフォンの着信音が鳴り、いつもの合成音声が告げた。
「表側の方がお迎えです」