見習い札の裏側
全国菓子品評会の朝、厨房に「臨時見習い」の札を下げた老女が入った。槙島佐和枝と名乗り、袖を肘まできちんと折っている。
若い工房長は、彼女に餡を触らせなかった。
「昨日まで家庭で饅頭を作っていた人に、品評会の生地は任せられません。洗い物だけしてください」
老女は黙って銅鍋を磨いた。
私は去年入ったばかりで、工房の古い帳面を読む役を任されていた。そこには気温ではなく、井戸水の匂いや朝の雲で蒸し時間を変えると書かれている。署名はどの頁も「佐和」の二文字だった。老女の手元を見ると、布巾の絞り方も、餡を冷ます扇ぎ方も帳面の図と同じだった。私が尋ねると、彼女は「書いた人より、守る人の方が大切よ」と笑った。
休憩中、私は余った生地で彼女の助言どおり一個だけ蒸した。表面は割れず、指で押すとゆっくり戻った。工房長は出来を見ても、材料が偶然よかったのだと言った。
老女は言い返さず、その一個を新人たちに分けた。口どけは、出品作より明らかに軽かった。だが蒸し器の音を聞くと、火を一段落とすよう助言した。
「湿度が高い日は、皮が割れます」
工房長は聞かず、規定どおりの火力を守った。一番蒸しの饅頭には細い亀裂が走った。
「見習いが余計なことを言うから集中が切れた」
彼はそう言い、老女の札を裏返して「立入禁止」と書いた。私は腹が立ったが、老女は割れた皮を指で割り、香りを確かめただけだった。
審査開始の鐘が鳴る。工房長は自信作の箱を抱え、審査室へ向かった。ところが入口で係員に止められた。
「伝統製法部門は、宗家印の確認が必要です」
「うちは三十年出品している」
「今年から、継承資格の更新審査があります」
審査員たちが一斉に立ち上がった。洗い物を終えた老女が、見習い札を外して入ってくる。その裏には、金箔の宗家紋が隠れていた。
協会長が深く礼をした。
「槙島宗家、抜き打ち実技審査をありがとうございました」
老女は亀裂の入った饅頭を審査台に置いた。
「では、この工房が名乗る資格を、ここから審査します」