観客が歌う空白

珠洲アオの追悼公演で、誰も書いていない歌詞を千人が同時に歌った。

曲は『ソロルーム』。生前のアオが最後に残した一曲で、歌詞カードはサビの末尾だけ空欄だった。主催者の藤倉拓海は、話題作りの演出だと説明していたが、実際には何も用意していない。空白のまま終われば、未完成の遺作として売れる。それで十分だった。

イントロが鳴る。細い電子音が、閉じた部屋をノックするように左右を移る。スクリーンには一人きりのアオ。拓海は舞台袖で、彼女に何度も言った言葉を思い出した。

「ひとりじゃない。ファンがいる」

だから事務所の人間に相談する必要はない。だから契約も部屋もスマートフォンも、拓海が管理していい。そう言って、彼女を孤立させた。ファンレターは検閲し、仲間からの着信は仕事の邪魔だと切った。アオが泣けば、拓海はフォロワー数の画面を見せた。数字の海を人間の代わりにして、彼女が助けを求める相手を一人ずつ消した。

Aメロの途中、客席の最前列で一人の女性が立った。以前同じ事務所にいた歌手だった。二列目でも、三列目でも別の女性が立つ。七人。全員が、拓海の知らないところで活動を辞めた者たちだった。

サビが頂点へ上がり、アオの声が最後の母音を伸ばす。そこで伴奏が落ち、空白の一小節が来る。

七人が歌った。

「ひとりじゃない」

次の瞬間、千人の声が重なった。事前練習などないはずなのに、同じ高さ、同じ長さで会場を満たす。拓海は操作卓を睨んだ。歌詞表示は空欄のままだ。

同じ三拍が、今度は客席の左右から返った。七人の背後に、元衣装係、元マネージャー、元研修生が次々と立つ。スクリーンには、ファン有志が共有していた告発文書のQRコードが現れた。アオが生前、予約送信していたものだ。

最後の音が切れる。拍手は起きない。代わりに七本のマイクが、舞台上へ並べられた。

「ひとりじゃない」

その言葉は、孤独な少女を慰める歌詞ではなかった。

アオだけが被害者ではないという、合唱による告発だった。