言えない真実の口づけ
契約夫婦が人前で口づけると、二人のあいだにある真実が一つ、永久に口にできなくなる。
その魔法のおかげで、政略結婚の秘密は守られてきた。
メルヴィナとレグナの婚姻も、半年だけの偽装だった。王弟派と宰相派が同じ卓につくため、双方の使者である二人が夫婦を演じる。半年後、国境の停戦文書が結ばれれば離縁する。
問題は、今夜の晩餐だった。
反対派の公爵が、二人は別々の寝室を使っていると嗅ぎつけた。愛情を証明しろと、百人の前で口づけを求めている。
「封じる真実は選べない」とレグナは控室で言った。「魔法が、二人にとって最も重いものを取る」
メルヴィナは手袋の釦を留め直した。
二人にとって最も重い真実。それは、停戦を壊した辺境襲撃の命令者が、レグナではないという証拠だ。
彼は敵方の使者として罪を被った。実際に命令した王弟を交渉卓へ座らせるため、自分が憎まれ役になった。襲撃で兄を失ったメルヴィナも、初めは彼を殺したいほど憎んでいた。
だが共同生活の中で、彼が夜ごと犠牲者名簿を写しているのを見た。遺族へ匿名で賠償金を送り、自分の食事は冷えた粥で済ませる姿も。
停戦後、メルヴィナは証拠を公表するつもりだった。彼の名誉を返し、王弟を裁かせる。そのために半年、嫌われる妻を演じてきた。
「口づけなければ、今夜で交渉は終わる」と彼が言う。「君の兄の死も無駄になる」
「口づければ、あなたは一生、虐殺者のまま」
「それで国境の子どもが眠れるなら安い」
安いはずがない。彼は市場で石を投げられ、母の葬儀にも出られなかった。それでも笑う癖だけが上手くなった。
広間から催促の杯が鳴る。
メルヴィナは扉へ向かった。レグナが腕を掴む。
「封じられるのは、別の真実かもしれない」
その顔を見て、彼女はようやく気づいた。自分たちの間には、証拠より重い真実がもう一つある。
言えば契約ではなくなる言葉。
メルヴィナは彼の襟を引き寄せた。
唇が触れた瞬間、胸の奥にあった「あなたは無実です」という一文が、声にならない石へ変わった。