近日点の恋人

【彗星カリュプソ観測記録・近日点前六十三日】

氷床が融解し、薄い大気を形成。

地表温度、零度を突破。

探査員ユリヤ・セト、外部活動を開始。

別船所属オーレン・キヴァと合流。

カリュプソには、太陽へ近づく六十三日間だけ夏が来る。

青白い霧が地表を流れ、氷の下から休眠菌が目を覚ます。

次の夏は四百十二年後だった。

ユリヤとオーレンは、別々の探査船から降りた。

彼女は生命試料を内惑星へ運ぶ任務。

彼は彗星とともに外宇宙へ進み、長期観測を続ける任務。

最初の会話は、通信周波数の取り合いだった。

「七番帯は私が予約した」

「彗星に先着順はない」

「では決闘で」

「低重力走?」

「負けたほうが夕食当番」

二人は毎日、氷原を歩いた。

夕方には透明ドームで食事をし、地球の海や、火星の砂嵐や、見たことのない家の話をした。

夏の二十日目、手袋越しに手をつないだ。

三十八日目、恋人になった。

五十日目、別れの話を始めた。

「私の船へ来る?」

ユリヤが訊く。

「外宇宙観測を捨てろと?」

「言ってみただけ」

「君が残る?」

「試料を待つ百億人へ、恋をしたので帰りません、と報告する?」

二人は笑った。

笑うしかなかった。

どちらの任務も、相手より大切なのではない。

相手が愛した人を形作っているものだから、捨てさせられなかった。

【近日点当日】

彗星尾、最大。

両探査船、分離準備。

夏の最後、地表には一時的な雨が降った。

水滴は低重力でゆっくり落ち、二人の宇宙服へ丸い粒となって乗った。

「次の夏まで待つ?」

オーレンが言う。

「四百十二年?」

「冬眠技術が進むかもしれない」

「その頃には、私たちじゃない誰かが起きる」

ユリヤは彼のヘルメットへ自分の額を当てた。

硝子越しの口づけだった。

「この夏だけでよかった?」

「よくない。でも、足りないから本物だった」

両船が発進する。

一方は太陽系の内側へ、一方は暗い外側へ。

通信遅延は一秒、十秒、一分と伸びた。

最後の会話は、返事が届く前に次の言葉を送る形になった。

〈好きだ〉

〈私も〉

〈聞こえた?〉

〈まだ〉

〈さようなら〉

〈今、好きだが届いた〉

やがて通信圏を離れた。

ユリヤの船には、六十三日分の観測記録と、一枚の写真が残った。

青い霧の中、二人の影が別々の方向へ伸びている。

カリュプソは太陽から遠ざかり、再び凍った。

ひと夏の恋も、次の季節へは続かなかった。

それでも四百十二年後、氷が融ければ、二人が歩いた足跡のくぼみから、同じ休眠菌が目を覚ますだろう。

誰も二人の名を知らなくても、彗星だけは、あの夏に生命が二つ並んでいた場所を覚えている。