透明樹脂の午後
午後三時五十分、現代美術館の中庭で、批評家の千種が透明樹脂の立方体から上半身を出して死んでいた。腰から下は完全に固まり、作品用の台座とも接着している。切断すれば証拠が失われるため、遺体は樹脂分析が終わるまで動かせない。秋の日差しが塊を通り、千種の靴だけを水中の魚のように歪めていた。
制作室に出入りできたのは彫刻家の狩屋、助手の鶴見、招待批評家の名取。千種は三人の盗作疑惑を記事にすると告げていた。狩屋は午後三時から公開講演、名取は三時七分に駅の改札を通過、鶴見は「三時前に材料店へ出て、三時半まで戻らなかった」と話した。三人とも樹脂の扱いを知り、液体のうちなら人を沈められる。
鶴見は「千種さんが作品へ勝手に入った事故だ」と言った。だが槽の縁は腰より高く、千種は後頭部を一度だけ殴られていた。事故か殺人かではなく、誰が硬化前の短い時間を使えたかが問題だった。
私は化学担当者に、数字を三つだけ確かめてもらった。
一つ目。樹脂内部は発見時も四十一度あり、メーカーの硬化曲線では注型から三十五分ないし四十五分の温度だった。
二つ目。樹脂中に沈んだ千種の腕時計は、ガラスが割れて三時十一分で止まっている。硬化後には動かせない位置だ。
三つ目。狩屋の講演映像は三時から切れ目がなく、美術館から二十五分かかる駅での名取の改札記録も本人映像付きだった。一方、鶴見が示した材料店のレシートは三時二十八分発行で、店まで徒歩四分しかかからない。
鶴見は「時計を先に壊して沈めたのかもしれない」と言った。だが時計には千種の手首が通ったままだった。透明な樹脂の中で、秒針だけが永遠に十一分を指していた。
樹脂の残熱は、注いだ時刻を午後三時五分から十五分に限定する。時計の三時十一分は、その最中に千種が殴られ、まだ液体の槽へ落とされた時刻と一致する。狩屋の講演と名取の改札には本人を示す連続記録があり、三時前から不在だったという鶴見の証拠だけが三時二十八分のレシートしかない。仕掛けは樹脂の硬化一つで、時計を後から入れる余地もない。遺体を封じた透明な塊は、助手の空白時間まで透かして見せた。 美術品のような密閉が、かえって時刻を保存したのである。