重力を選ぶ日
月で生まれた子どもは、十七歳で進学先の重力を選ぶ。
月面大学へ進めば、今の体のまま暮らせる。
地球へ降りれば、強い重力に合わせる訓練を受け、数年間は月へ戻れない。
娘は地球の水環境学部を選んだ。
「月にも水の研究所はある」
母は毎晩、別の進路資料を机へ置いた。
「本物の雨を調べたいの」
「映像でも観測できる」
「雨の中で測りたい」
母は若いころ地球から月へ移住した。低重力へ適応した今の体では、地球へ同行できない。
「私を置いていくのね」
言ったあと、母は自分で口を押さえた。
娘は怒らなかった。
「置いていくんじゃない。行きたい場所が、母さんのいない場所なだけ」
その違いが、母には一番つらかった。
進路登録の日、母は小箱を渡した。中には丸い灰色の石が入っていた。
「地球の川で拾ったの。月へ来る日に持ってきた」
「規則違反じゃない?」
「当時は検査が甘かった」
石は月では軽かった。けれど母の手から娘の手へ渡るとき、長い距離の重さがあった。
「地球へ返して」
「母さんの形見みたいな言い方やめて」
「帰ってこないとは言ってないでしょう」
母は笑った。
「私も昔、家族を地球に残して月を選んだ。選んだ場所が家族への否定ではないと、分かっていたはずなのにね」
出発の日、娘は重力適応服を着た。歩くたび、人工的に増された重さが膝へかかった。
「怖い?」
「少し」
「進路を変えてもいい」
「変えなくても、怖がっていい?」
「もちろん」
地球へ着いた最初の夜、雨が降った。
娘は窓を開け、手のひらへ水を受けた。粒は映像より速く、音は思っていたより乱雑だった。
母へ音声を送った。
〈雨は、空から落ちるというより、地面まで急いでるみたい〉
すぐに返信が来た。
〈毎日送らなくていい。そっちの生活をしなさい〉
そのあとに、小さく付け足されていた。
〈でも今日は、もう少し聞かせて〉
娘は端末を窓辺へ置いた。
地球の雨音が、三十八万キロ離れた月の部屋へ届く。
進路を選ぶことは、家族から遠ざかることではなかった。
違う重力で立ちながら、互いの世界を聞ける関係へ変わることだった。