重力設定〇・六九
軌道居住区〈ハロウ〉の共同室で、ミアラ・セントとコーヴ・リニアは重力を〇・六九Gに設定していた。
地球生まれのミアラには軽すぎる。
火星育ちのコーヴには重すぎる。
二人の身体の中間を計算した数字だった。
最初の頃は、互いの違いを面白がった。
ミアラは床を蹴りすぎて天井へ頭をぶつけ、コーヴは地球式の階段で息を切らした。
共同室では、コップの蓋を閉めるか、開けるか。寝台の固定帯を何本使うか。シャワーの水圧をどこまで上げるか。細かな設定を話し合って決めた。
五年目、二人は相談しなくなった。
ミアラは帰宅すると重力を〇・七二へ上げ、コーヴが来る前に〇・六九へ戻した。
コーヴは夜中に〇・六六へ下げ、彼女が起きる前に戻した。
医療検査で、ミアラには骨密度低下が、コーヴには関節炎が見つかった。
「別々の区画へ移ろう」
ミアラが言った。
「治療が済むまで?」
「たぶん、その先も」
コーヴは制御盤の〇・六九という数字を見た。
「中間なら公平だと思ってた」
「公平だったよ。二人とも同じくらい無理をした」
「どちらかに合わせれば」
「合わせられた側が、相手の痛みを毎日見ることになる」
二人は愛し合っていた。
だから相手へ自分の重力を強制できなかった。
その結果、どちらの身体にも合わない部屋で、少しずつ自分を弱らせた。
退去の日、荷物は軽かった。
ミアラは地球圏行きのエレベーターへ、コーヴは火星環へ向かう輸送艇へ乗る。
接続ロビーだけは、すべての出身者のため〇・六九Gだった。
「最後まで、この重力か」
コーヴが笑う。
「私たちらしいね」
二人は抱きしめた。
ミアラには彼の身体が軽く、コーヴには彼女の身体が重く感じられた。
同じ抱擁なのに、受け取る重さが違う。
「着いたら連絡する?」
「最初はしない」
「うん。自分の重力に慣れてから」
出発案内が流れた。
二人は手を離し、逆方向のゲートへ歩いた。
ミアラの足取りは少し重くなり、コーヴの足取りは少し浮いた。
どちらも、久しぶりに身体が正しいと感じる歩き方だった。
共同室の記録には、最後の設定が残った。
〈〇・六九G――双方合意〉
間違った数字ではなかった。
ただ、愛する二人の平均が、どちらか一人の生きやすさになるとは限らなかった。