金箔の下の一行

十一時五十一分。海老沢修平は式場受付へ、折れた招待状と借りたままの文庫本を置いた。

瀬名美琴から届いた封筒には、カードの隅に手書きで〈返信はいりません〉とあった。別れて二年、彼女らしい遠回しな拒絶だと思った。出欠葉書は出さず、式にも来ないつもりだった。

ところが昨夜、美琴の友人から「席が空いたままだけど大丈夫か」と電話が来た。修平は欠席を伝えるためだけに来た。

花嫁控室から美琴が出てきた。挙式まで七分。

「どうして返事をくれなかったの」

「返すなって書いただろ」

修平がカードを見せると、美琴は目を見開いた。文面のすぐ下には、飾りの金箔シールが貼られている。彼女が爪で端を剥がすと、その下から青いインクが現れた。金箔は二度と元へ戻らず、白いカードに細い裂け目だけを残した。

〈来てくれるだけで十分です〉

印刷会社が貼った枝葉模様のシールが、二行目をきれいに覆っていた。

「最初からこれを書いたのか」

「うん。返事を待つと、来てほしいって迫ってるみたいだから」

「十分迫ってるよ」

思わず笑うと、美琴も笑った。別れた夜も、二人は同じように言葉を途中で止めた。修平は「東京には戻らない」と言い、美琴は「分かった」とだけ答えた。彼は別れを選ばれたと思い、彼女は自分が捨てられたと思った。

文庫本の間から、古い新幹線の領収書が落ちた。別れた翌週、美琴が修平の町まで来ていた証拠だった。

「来たのか」

「会わずに帰った。あなたの部屋、もう表札が外れてたから」

修平はその週、出張で一時的に社宅を空けていただけだった。連絡しなかったのは、彼女の〈分かった〉を決定だと思ったから。

鐘が一度鳴った。七分で、二年間の誤解は解けた。だが美琴の左手には、今日選んだ指輪がある。

「本、遅くなってごめん」

「結末、どうだった?」

「間に合わなかった人が、最後だけ間に合う話だった」

修平は受付の出席名簿へ自分の名前を書いた。金箔を剥がした招待状を胸ポケットへ入れ、空いたままだった席へ向かった。