針箱の昼休み
藤代七緒は、昼休みの会議室で深緑の布を縫っていた。
日曜の撮影で裂けたマントの裾。次の週末までに直さなければならないが、家では残業後に針を持つ気力が残らない。昼食を十分で済ませ、残りを縫い物へ回すことにした。誰も使わない小会議室なら十分だと思っていた。
扉が開くまでは。
「ここ、空いてる?」
品質管理の先輩、真壁が弁当を持って立っていた。
七緒は反射的に布を膝へ隠した。銀糸のついた針だけが、机の上に残る。
「すみません、すぐ片づけます」
「その縫い方だと、また同じ場所が裂けるわよ」
真壁は椅子に座り、七緒の返事を待たずに針箱を開いた。
中から短い指ぬきを取り出す。
「布を見せて」
膝から出した深緑のマントには、金の紋章と人工の毛皮がついていた。布が広がると、無機質な会議室だけが急に森の王国のように見えた。会社で「目立たない子」と呼ばれる七緒が身につけるには、あまりに派手だった。
真壁は笑わなかった。裏地を返し、裂け目の方向を確かめる。
「舞台衣装?」
「コスプレです。週末だけ」
「なるほど。だから縫い代が少ないのね。写真で細く見せたいから」
言い当てられ、七緒は顔が熱くなった。
真壁は若い頃、ダンス公演の衣装を縫っていたという。今も針箱を持ち歩くのは、ボタンの取れた制服を見ると放っておけないかららしい。
二人は弁当を食べながら、裂け目の両端へ小さな補強布を当てた。針が布を抜けるたび、銀糸が小さく光った。人生の話はしなかった。真壁は糸の引き方だけを教えた。
そこへ後輩が資料を取りに来た。
「何を作ってるんですか?」
七緒は、真壁がうまくごまかしてくれるのを待ちかけた。
「私の衣装を直しています」
自分の声が、思ったより普通に出た。
「日曜に着るマントです」
後輩は「すごい」と縫い目をのぞき込み、資料を抱えて出ていった。それだけだった。
最後の一針を結ぶと、真壁は指ぬきを七緒へ渡した。
七緒は遠慮せず受け取り、深緑の布を机いっぱいに広げた。昼の白い光の中でも、金の紋章はきちんと輝いていた。