鏡の前の代わって
高校生の兄と中学生の妹は、洗面所を使う順番で毎朝喧嘩した。
兄は髪型を気にしすぎる妹を笑い、妹は鏡の前で発声練習をする兄を邪魔だと言った。
ある朝、二人が鏡へ向かって同時に、
「代わってよ」
と叫んだ。
次の下校時刻の鐘まで、体が入れ替わった。
兄は妹の制服で学校へ行った。
廊下を歩くだけで、知らない男子から髪や脚について言葉を投げられた。
友人は笑って受け流し、
「怒ると面倒な子って言われるよ」
と囁いた。
妹が鏡の前で髪を整えていたのは、目立ちたいからではなく、何をしても見られる場所で少しでも自分を選び直すためだった。
妹は兄の体で高校へ行った。
国語の授業で指名され、兄の喉が最初の音で固まった。
兄には軽い吃音があった。
家では発声練習を隠し、学校では答えを知っていても手を挙げない。
同級生の一人が、
「男なんだから、はっきり言えよ」
と笑った。
妹は兄の口で反論したかったが、声が出ない。
昼休み、兄の友人が言った。
「無理してしゃべらなくていい。ノート見せて」
兄は一人で耐えているわけではなかった。
妹も、兄が助けを受けることを恥じていると知った。
下校の鐘が鳴り、二人は元へ戻った。
家へ着くまで何も言わない。
洗面所で兄が先に鏡を譲った。
妹は髪を整えながら、
「今日、変なこと言われた」
と話した。
兄は「気にするな」と言わず、
「誰に」
と尋ねた。
妹も、兄の発声練習の時間を邪魔しなくなった。
ただ一度、
「聞いててもいい?」
と聞いた。
兄は嫌がり、翌週から扉を少しだけ開けた。
兄は学校で、発表を筆談へ替えられるか先生に相談した。
妹は友人と一緒に、廊下の発言を教師へ伝えた。
どちらもすぐ解決しなかった。
言い返せず帰る日もあった。
それでも朝の洗面所では、順番を決めるため小さな砂時計を置いた。
三分ずつ。
時間を代わることはできても、体ごと代わる必要はもうなかった。
鏡に映る相手の姿は、自分より楽そうに見える。
その裏へある声や視線は、想像するだけでなく、聞かせてもらわなければ分からないのだった。