閉店後、夫婦をやめる
父と母が離婚を決めた夜、私は食堂〈ひさご〉の暖簾を洗っていた。
名波源吾と浜路登喜子。
夫婦になって三十二年、店を始めて三十年。
父は鍋を振り、母は注文を取り、私は子どもの頃から二人の背中を見て育った。
店では息が合っていた。
父が「二番、焼き魚」と言えば、母は返事の前に皿を出した。
母が客の咳へ気づけば、父は黙って湯を沸かした。
家へ帰ると、二人は話さなかった。
必要なことは店で全部済んでいたからだ。
再開発で建物が取り壊され、ひさごは閉店することになった。
私はてっきり、二人で旅行でもするのだと思っていた。
「離婚する」
母は売上帳を閉じながら言った。
父も「そういうことだ」とうなずいた。
「仲が悪かったの?」
私が訊くと、二人は顔を見合わせた。
「悪くはない」
父が言う。
「良くもない」
母が続ける。
「お客さんがいないと、何を話せばいいか分からなくなったの」
父は漁港の町へ移り、知人の食堂を手伝う。
母は姉のいる京都で、ずっと習いたかった染織を学ぶ。
どちらの未来にも、相手の席はなかった。
最終営業日、常連客で店は満員になった。
「これからも夫婦でのんびりだね」
そう言われるたび、母は笑い、父は曖昧に頭を下げた。
閉店後、父が三人分の生姜焼きを作った。
母は伝票を書かず、私が水を運んだ。
「最後くらい、恋人らしい話をしなよ」
私が言うと、父は困った顔をした。
母は肉を一切れ食べてから、父へ訊いた。
「私の好きだったところ、覚えてる?」
「声が大きい」
「悪口」
「客が泣くと、会計を忘れるところ」
「あなたは、焦ると塩を二回入れるところ」
「それも悪口だろ」
二人は笑った。
久しぶりに、店主と女将ではない顔だった。
「嫌いになったわけじゃないんだね」
私が言うと、母はうなずいた。
「好きだったものを、三十年毎日使ったの。大事にしたけど、少しずつ薄くなった」
父が続けた。
「もう一度磨けば戻る、ってものでもない」
翌朝、二人は別々の電車へ乗った。
母は父へ弁当を渡し、父は母の荷物を網棚へ上げた。
発車時刻が近づくと、互いに「元気で」と言った。
泣いたのは私だけだった。
二人は穏やかに笑っていた。
後日、離婚届の証人欄へ署名しながら、私はようやく分かった。
愛の摩耗は、雑に扱った罰ではない。
毎日使い、働き、暮らしを支えたからこそ、いつか元の厚さを失うこともある。
ひさごの暖簾は、半分に切らず、私が引き取った。
父と母が一緒だった三十年を、どちらか一人のものにしないためだった。