離婚十周年の予約

志摩瑚都の予定表に、十二年後の予約通知が現れた。

〈離婚十周年ディナー 午後七時 二名〉

予約者は瑚都。相手の名は空欄だった。

夫との結婚生活は、壊れてはいなかった。朝は同じ食卓につき、家賃を分け、週末には日用品を買った。ただ、二人とも相手の話を途中で分かったつもりになり、喧嘩さえしなくなっていた。

瑚都は未来を変えようとした。夫の好物を作り、記念日を増やし、笑顔を絶やさなかった。夫は最初こそ喜んだが、三か月後には顔色をうかがうようになった。

「何か隠してる?」

「離婚したくないだけ」

思わず口にすると、夫は箸を置いた。

「僕たち、離婚の話なんてした?」

瑚都は通知を見せた。夫は長いこと画面を眺め、それから、ひどく疲れた顔で笑った。

「未来に言われるまで、僕らは何も話さなかったんだな」

その夜、二人は初めて、結婚してから諦めたものを並べた。瑚都は音楽教室へ戻りたかった。夫は故郷で小さな宿を継ぎたかった。どちらも相手のために黙っていたつもりで、実際は断られるのが怖かっただけだった。

一年かけて相談し、二人は離婚した。憎み合ったからではなく、別々の生活を選ぶためだった。瑚都は旧姓に戻り、子どものころ弾いていたチェロを習い直した。最初の発表会では弓が震え、途中で音を外した。客席の端には元夫がいて、終演後に『昔より下手だ』と笑いながら花を渡した。夫は山の町へ帰り、古い宿を直した。瑚都は年に一度そこへ泊まったが、もう女将のように台所を手伝わなかった。客として温泉に入り、朝になると自分の町へ戻った。離れたことで、相手の人生を応援できる距離ができた。

十年後、予約通知の日が来た。瑚都は店へ一人で向かった。相手は元夫だった。彼も同じ通知を受け取っていたらしい。

二人は近況を話し、互いの選択を笑った。瑚都の指には弦の跡があり、元夫の手には薪割りの傷があった。

会計のとき、店員が尋ねた。

「何かの記念日ですか」

瑚都は少し考えた。

「はい。ちゃんと別々に生き始めて、十年です」

店を出ると、元夫は山へ戻る列車に乗り、瑚都は夜の練習室へ向かった。改札の前で手を振り、それぞれ反対側へ歩いた。十二年前なら寂しく見えたはずの背中が、その夜は二人ともまっすぐだった。