雨粒の処方箋
雨の日だけ、私の右手は骨の内側から痛む。
宝飾師の試験を明日に控えた夜も、屋根を叩く雨は止まなかった。銀線を曲げようとするたび、指が勝手に開く。七年待った試験だ。欠席すれば次は三年後になる。
免許がなければ、私の作った首飾りにも師匠の名が刻まれる。客から褒められても、私は棚の陰で頭を下げるだけだ。合格したらヴァネと小さな工房を借り、互いの名を並べた看板を出す。それが二人の約束だった。
私は傘も差さず、「痛みを預かる薬店」へ駆け込んだ。
「朝まで、この手を動かしたいんです」
店主は雨粒を一つ閉じ込めた青い瓶を見せた。
「一晩ぶん痛みを消す。代金は、その痛みを誰かに和らげてもらった記憶を一つ」
すぐに浮かんだのは、同僚のヴァネだった。
工房へ入りたての頃、私は痛みを隠して失敗を重ねた。ある夜、ヴァネは何も訊かず、温めた布を私の手に巻いた。薄荷の匂いがして、彼女の手は雨より少し冷たかった。
私は謝った。足を引っ張る、共同経営など無理だ、と。ヴァネは布の端を結びながら、「痛い手と働けない手は同じじゃない」と言った。翌日から、彼女は雨雲が出るたび細かい作業を先に交換してくれた。
――痛い日は、下手な日じゃないよ。
その一言で、私は仕事を辞めずに済んだ。
「別の記憶では?」
「痛みと結びついた優しさでなければ、薬にはならない」
試験に受かれば、二人で工房を借りる約束だった。けれど、その未来へ進むために、始まりを支えた夜を失う。
私は濡れた袖から、古い布切れを出した。ヴァネが巻いてくれたものだ。何度洗っても、薄荷の匂いがわずかに残っている。
「お願いします」
店主が瓶の栓を抜くと、記憶の中の布がほどけた。冷たい指も、声も、言葉も雨音に溶ける。
痛みは消えた。
私はまっすぐ伸びる指を見つめた。掌には、なぜ持っているのか分からない布切れがある。
それを捨てる気にはなれなかった。
薄荷の匂いを手首に巻き、私は試験用の銀線を曲げ始めた。