雨雲の境界線
空港の運航室で、御影由良は「欠航を作る人」と呼ばれていた。
雲の形を細かく読み、少しでも危険があれば出発時刻をずらす。蓬田運航長は、それを判断力のなさだと言った。
「数字が怖いなら、天気予報でも読んでいろ」
夕方、滑走路西側に小さな積乱雲が生まれた。
レーダー上では薄い。定期便三機は離陸準備を終えている。
由良は風向計の変化を見た。
気温は一分で二度落ち、鳥の群れが滑走路から一斉に東へ逃げた。地上の観測値だけなら小さな揺れだが、三つが同時に起きるのは珍しい。
南風が二分だけ止まり、次に東から冷たい風が入る。雲の下で下降流が地面へぶつかり、放射状に広がる前触れだった。
「全便、十分待機してください」
蓬田は即座に却下した。
「警報は出ていない。遅延補償を誰が払う」
由良は管制へ、気象担当としての保留要請を出した。
蓬田が椅子を蹴る。
「そんな権限の使い方も知らないのか。取り消せ」
一番機の外国人機長、エリアス・ノヴァクから無線が入った。
『こちらでも西側の雲を確認した。だが計器上は離陸可能だ。判断を求む』
由良は窓の外を見た。
遠くの吹き流しが、いっせいに逆向きへ跳ねた。
「待機を継続してください」
蓬田が送信機へ手を伸ばした瞬間、風速表示がゼロになった。
次いで、滑走路中央の警報灯が赤く点滅する。
ウインドシア警報。
西から透明な壁のような雨が押し寄せ、駐機場の作業車が揺れた。格納庫の扉が自動停止し、誘導灯の支柱がしなる。もし予定どおりなら、一番機は離陸速度に達した直後だった。
運航室に、ノヴァクの声が響く。
『判断に感謝する』
蓬田は「偶然だ」と言いかけた。
そのとき、国の航空安全監督官が背後の席から立ち上がった。今日は抜き打ち監査で、身分を伏せて運航判断を見ていたのだ。
監督官は由良の記録を確認し、運航規程の画面を開く。
「予兆を三つ、警報前に記録している。判断は適正です」
そして蓬田の権限欄を停止し、空港全体へ通達を送った。
「本日の気象運航権限は、御影由良へ移管します」