零時を過ぎた業務連絡
二十三時五十七分、依茉のパソコンには納品完了率九十八パーセントが表示されていた。
半年間の広告案件。依茉はフリーのデザイナー、朔弥は発注企業の担当者。毎晩のようにやり取りをしても、依茉は文末から絵文字を削り、食事の誘いには答えなかった。朔弥が風邪をひいた夜も、《ご自愛ください》とだけ送り、本当は届けたかったスープの店を検索履歴から消した。取引先を好きになったと認めれば、採用されたデザインも、深夜まで続いた修正も、仕事で得た信頼まで私情に見える。それが言えない理由だった。
契約終了は午前零時。最後のデータが上がるまで、朔弥とは通話をつないでいた。
「あと三分ですね」
「業務連絡だけにしてください」
「今も?」
「今も」
「じゃあ、零時一分なら?」
依茉は進捗バーを見た。九十九パーセント。残り一パーセントだけが、半年の関係を引き延ばしている。通話を切れば逃げられるのに、納品確認には彼の声が必要だった。依茉は机の下で、会った日に着ていたスカートの裾を握った。
「朔弥さんは、誰にでもこういうことを言うんですか」
「業務外の質問です」
「……業務連絡だけ」
「了解しました」
零時ちょうど、画面に《アップロード完了》が出た。朔弥が受領ボタンを押し、半年分の共有チャットに《検収完了》の表示がつく。
「以上で契約終了です。ありがとうございました」
「こちらこそ」
通話が切れた。ヘッドセットを外すと、半年間ずっと耳元にあった声だけが急になくなった。静かな部屋で、冷却ファンの音がやけに頼りなく聞こえた。
一分後、依茉の個人用スマートフォンが光った。登録していない番号から、《駅前の喫茶店、零時半まで開いています。これは業務連絡ではありません》と届く。
依茉は笑ってしまった。返事を書きかけ、いつもの癖で丁寧語へ戻す。けれど、最後の一行だけは消さなかった。
《業務連絡だけは、もう終わりにしたい》
送信後、連絡先の会社名欄から朔弥の所属を消す。代わりに名前だけを登録し、鞄からコートを取り出した。