霧境の銀糸

沼辺のアルニ村では、夜ごと灰色の瘴霧が畑の端まで這ってきた。霧に触れた作物は朝には黒ずみ、家畜は咳をした。高価な魔法壁を頼める村ではなく、人々は毎晩、濡れ布で戸口を塞いでいた。

巡回結界師イオラは、村を丸ごと覆う大結界を断った。

「霧が入るのは東の葦原、幅二百歩だけ。そこへ銀糸の網を張れば十分です」

魔力を持つ者が少ない村だったため、イオラは負担を二種類に分けた。魔力を流せる者は月に一度、結界石へ十分だけ触れる。流せない者は柱一本分の木材か、作業日の食事一人分。どちらも同じ一口として帳面に記す。薬草商から得る村税のうち三十分の一を銀糸の交換費に回し、他用途へ使わないことも札に明記した。

「魔力の強い家が偉いのか」と若い術士が問うた。

「一口は一口です。強く流しても票は増えません。結界は誰の空気も同じだけ守ります」

薬師ペトラは、結界の恩恵が畑だけなら自分には少ないと言いながら、最初の食事当番へ名を入れた。

「咳をする子が診療所へ来なくなるなら、私の仕事も減る。それでいい」

以後、木こりは柱を削り、術士は魔力の流し方を教え、魔力のない老人は銀糸が絡まぬよう巻き枠を回した。誰の作業も同じ大きさの銀色の丸で掲示板に刻まれた。

結界石に触れる順は魔力の強さではなく、生活の都合で決めた。夜明けに働く者は夕方、子育て中の者は昼、歩けない老人の石は家の窓辺へ分岐させた。術士たちは当初、弱い魔力では役に立たないと笑ったが、銀糸は細い流れを束ねる仕組みだった。百人の小さな光が網全体を満たすのを見て、最後には彼らも教える側の札を外し、一口の丸印へ並んだ。

完成した夜、葦原から瘴霧が押し寄せた。銀糸が淡く光り、霧は薄い壁に触れたところで左右へ割れた。村側の空気には、湿った土と煮豆の匂いだけが残った。

ペトラが診療所の窓を開ける。子どもたちは初めて濡れ布なしで息を吸った。

翌朝、東端の柱に小さな風鈴が結ばれた。札にはこう書かれていた。

――ここから先は、みんなの息。

霧の向こうで銀糸が朝日を受け、最初の澄んだ音を鳴らした。