靴底より先に床が治る

ピアナの指には、今も細かな針傷が並んでいる。

王都靴工房では、一日百足を縫うまで帰れなかった。制服の前掛けは膝のところだけ薄く、休憩中も立ったまま食べる癖が抜けない。

退職金で買った路地裏の靴店は、床板が腐り、雨の日には棚が傾いた。けれど、店の奥に住む〈縫い家〉の精霊は、店主が手を止めると働き始めた。

ピアナが椅子へ座る。すると壁から金糸が伸び、裂けた日除けを縫う。床の傷には木の繊維が集まり、棚の脚はまっすぐになる。客が受取箱へ古靴を入れると、その糸は靴底まで直し、料金箱から決められた分だけピアナの口座へ送った。

彼女がするのは、朝に革と糸を補充することだけ。それさえ三日に一度でよい。

《自動修繕十二足。今月の暮らし分を達成》

通知と同時に、工房長の顔が鏡へ浮かんだ。

『繁忙期だ。戻ってこい。お前の席は空けてある』

「椅子なんて、ありませんでしたよ」

『比喩だ。給金は一割増しにする』

ピアナは笑わなかった。代わりに、前掛けの薄くなった膝を鏡へ見せた。

「私の休みを百割増しにできるなら考えます」

『ふざけるな。注文を待つ客がいるんだぞ』

「ここにもいます。でも、私が倒れることは待たせません」

通話を切った途端、店先で子どもが転び、陳列台へぶつかった。台は大きく傾いたが、金糸がふわりと支え、何事もなかったように戻る。子どもの母が代金を箱へ入れ、修繕済みの靴を受け取った。

午後の受取箱には、港で働く老船員の長靴が入っていた。注文札には〈急がない。雨季まででよい〉とある。金糸は傷んだ底だけを確かめ、必要な革を少し使って縫い始めた。工房では、客の希望より納品数が優先され、まだ履ける靴まで交換させていた。ここでは直す量も速さも、店と客が決める。ピアナが無理を足す余地はなかった。会計板の数字が増えても、彼女の呼吸は早くならなかった。

ピアナは店の精霊へ「午後もお願い」と声をかけた。壁が一度、了承するように軋む。

彼女は靴を脱ぎ、裸足で裏庭の芝へ出た。誰かの足に合わせるのではなく、自分の歩幅で小川まで歩き、冷たい水へ両足を浸した。