風向きは答案を知らない
模試の答案を紙飛行機にしたのは、たぶん人生でいちばん反抗的なことだった。
判定は一番下。担任は「現実を見ろ」と赤いペンで書いた。家に持ち帰れば、父は志望校を変えろと言うだろう。
僕は屋上へ逃げ、答案の角を折った。飛ばすつもりはなかった。ただ、点数が見えない形にしたかった。
「それ、よく飛ばなそう」
背後から声がして、振り向くと同じクラスの美術選択の子がいた。いつも絵の具の匂いがする。彼女も授業をサボったらしく、スケッチブックを抱えていた。
「立入禁止だけど」
「先にいる人が言う?」
彼女は隣に座り、僕の紙飛行機をひっくり返した。
「重心が後ろすぎる」
「答案だから」
「答案にも重心はあるよ」
勝手に折り直され、赤い判定が翼の裏へ隠れた。彼女はフェンス越しに風を読み、指先を濡らす真似をした。
「相談料は?」
「飛んだ距離ぶん」
「ゼロ円かも」
笑ったあと、僕は志望校のことを話した。父と同じ大学へ行きたくないこと。遠くの町で建築を学びたいこと。けれど成績が届かず、口にするほど夢が薄くなる気がすること。
彼女はスケッチブックを開いた。校舎の屋根、給水塔、フェンス、雲。見慣れたものばかりなのに、線の中では別の場所に見えた。
「私、美大行きたいって言ったら、母に食べていけないって言われた」
「どうするの」
「まだ言い返してる途中」
彼女は僕の紙飛行機を掲げた。
「夢って、叶うかどうかより、言い返し続けられるかじゃない」
「それ、先生に言える?」
「無理。だからここで言ってる」
風が吹いた。彼女は紙飛行機を僕へ返した。
「飛ばす?」
僕はうなずいた。
投げた飛行機は、予想より長く浮いた。校庭へ落ちるかと思ったが、風向きが変わり、屋上の反対側へ戻ってきた。最後は給水塔の脚にぶつかり、情けなく落ちた。
二人で笑った。
答案を拾うと、折り目のせいで赤い判定が半分に割れていた。消えたわけではない。それでも、ただの記号に見えた。
「相談料、三メートル」
彼女が言った。
「何を払えば」
「次の模試で、もう一回飛ばして」
「上がってたら?」
「もっと遠くへ行く」
「下がってたら?」
「折り方を変える」
その日の放課後、僕は進路希望調査の志望校を書き直さなかった。
現実は見えていた。ただ、風向きまで現実に決めさせる必要はないと思った。