風待ちの旗艦

海軍支援魔術師シェノラの仕事は、帆へ指先ほどの風を足すことだった。

大砲を動かす暴風でも、敵船を沈める竜巻でもない。提督ヴァンデルはそれを「船乗りなら自分で読める風」と切り捨て、彼女を港から追放した。

翌朝、旗艦は新任提督の閲兵航海へ出た。

港口の暗礁を抜けるだけの短い航路だ。見栄えを求めたヴァンデルは全帆を張り、風術師に大きな追い風を命じた。

帆が膨らみ、歓声が上がる。

次の瞬間、船首が横へ流れた。

右舷の潮と左舷の風が噛み合わず、旗艦は暗礁へ船腹をこすった。轟音とともに飾り板が砕け、整列していた随伴艦も急停止する。港中の船が、威風堂々と動けなくなった旗艦を見ていた。

引き船が綱を掛けても、横風が船尾を押し戻した。ヴァンデルは暴風術を強めさせ、今度は随伴艦の帆まで煽って二隻を接触させた。閲兵台の楽隊は演奏を止め、出港を祝うはずの礼砲だけが、座礁した船の上で空しく鳴った。港務官は航路閉鎖の札を掲げ、商船二十隻が足止めされた。

「去年は同じ風で抜けたぞ!」

老航海士が低く答える。

「シェノラ殿が帆ごとに風向きを半度ずつ変えておられました。船を速くしたのではなく、潮に押される分だけ戻していたのです」

そのころシェノラは、商船長ラハムの船で初航海を終えていた。

積み荷の卵は一つも割れず、予定より半日早い。

「うちでは大風を起こす者より、皿を滑らせない者が上席だ」

ラハムは航海士用の銀笛を彼女へ渡した。

甲板員たちは、彼女の指示で帆を半枚だけ畳むことを覚えた。速さを誇る船ではなく、荷を傷めず時間どおり着く船として、次の積み荷はすでに満船だった。シェノラの報酬は、航海ごとではなく利益の分配へ改められた。

港へ戻ると、海軍の小艇が待っていた。

伝令は濡れた帽子を脱ぎ、声を潜める。

「提督より、旗艦を離礁させ次第、元の任へ戻れと。追放は記録から消すそうです」

シェノラは銀笛を首にかけた。

「海軍との雇用契約は、港を追われた日に終了しています」