首筋の風
美容師に「今日はどうしますか」と聞かれると、玲はいつも同じ写真を見せた。
肩につく長さの、毛先を内側へ巻いた髪。元恋人が「それが一番まし」と選んだ写真だった。
一度だけ短くしたいと言ったとき、彼は笑った。
「顔が大きいのに? 男の子みたいになるよ」
別れて一年経っても、玲はその画像を消せなかった。季節が変わるたび同じ髪に整え、伸びた分だけ切った。美容師が別の提案をしても、「似合わないので」と先回りして断った。
六月の午後、店の窓に雨粒が流れていた。椅子に座った玲はスマホを開き、いつもの写真を探した。アルバムには、元恋人と行った場所の画像が何百枚も残っている。指を滑らせるたび、髪型より先に彼の横顔が現れた。
「前と同じくらいですか?」
美容師がケープを留めながら聞いた。
玲は写真を表示しかけたまま、画面を消した。スマホを鞄の底へ入れる。
「顎のあたりまで、切ってください」
言ったあと、首の後ろが急に寒くなった。美容師は驚きもせず、「結べない長さでも大丈夫ですか」と確認した。玲は頷いた。
鋏の音と一緒に、濡れたような黒髪が床へ落ちた。鏡の中の顔は、確かに前より丸く見えた。右側だけ少し跳ねてもいた。玲は無理に「すごく似合う」と思おうとしなかった。
仕上げの鏡を後ろから当てられたとき、玲は「少しでも顔が小さく見えるように直せますか」と聞きたくなった。代わりに、襟足に切り残しがないかだけ確認した。床には、自分が何年も守ってきた長さが細い束になっていた。美容師が箒で集めても、玲は惜しむふりも、平気なふりもしなかった。
会計を済ませ、店を出る。雨は止み、風が切ったばかりの首筋へ触れた。
駅のガラスに自分が映った。玲は足を止めそうになったが、元恋人のアカウントを検索して、見せたら何と言うか想像することはしなかった。
跳ねた毛先を耳にかけ、そのまま改札へ向かった。
短い髪が正解かどうかは分からない。ただ、次に伸ばすか切るかを決める写真は、もう鞄の中にはなかった。