骨のない一切れ
真壁志乃は、母に病名を言わないまま魚焼きグリルを開けた。
明日の入院については「検査が続くから」とだけ伝えてある。本当は、検査はもう終わっていた。これから始まるのは治療で、医師は成功率を数字で示した。志乃はその数字を覚えているが、今夜の食卓には持ち込まないと決めた。
母は鯖の骨が苦手だった。昔は志乃の皿から身を取り、骨を抜いてくれたのに、目が悪くなってから立場が逆になった。
塩鯖を二切れ焼く。脂が落ち、火が小さく跳ねた。大根おろしを作り、母の分だけ皮側を下にして皿へ置く。箸で背骨に沿って割り、小骨を一本ずつ探した。
「そんなにしなくていいよ」
母は湯のみを両手で包みながら言った。
「私が気になるの」
志乃は身を崩さないよう、骨だけを抜いた。皿の縁へ並べると、細い白線が増えていく。入院の保証人欄に母の名前を書くことはできなかった。代わりに兄へ頼んだ。そのことも今夜は話さない。
二人で鯖を食べた。母は一度も箸を止めず、最後に皮まで小さく畳んで口へ運んだ。志乃の皿には骨が残った。自分の分まで抜く気力はなく、舌で避けながら食べる。
食後、母が「明日は何時に出るの」と聞いた。
「八時。起こさなくていいよ」
母は返事をせず、皿を重ねた。志乃はそれを受け取り、流しへ運ぶ。グリルの受け皿には冷えた脂が白く固まり始めていた。
洗剤を落とし、スポンジで角まで洗う。水を流すと、皿の縁に並べていた骨が一本ずつ排水口の網へ集まった。志乃は指で拾い、新聞紙に包む。
母は新聞紙の横へ小さなポリ袋を置き、志乃が包むのを待っていた。昔なら「もったいない」と皮まで食べさせた人が、今日は何も急かさない。志乃は皿の上に落ちた大根おろしも集め、排水口へ流さず生ごみへ入れた。母が輪ゴムを伸ばして袋の口を二重に留める。その音を聞きながら、志乃はグリルの網を裏返し、焼きついた皮を一本ずつ外した。
最後の一本が折れずに収まったところで、紙を二度折った。