鳴らない鍵盤
パン屋の隅に、誰も弾かない古いピアノがある。
音大を辞めたとき、実家から運んだものだ。私は才能がなかったのではない。コンクール前日に逃げた。失敗するより、挑戦しなかったことにしたかった。
ある夜、掃除中にいちばん端の鍵盤を押した。
音は鳴らず、代わりに店の壁が薄くなった。
向こう側は大きな演奏会場だった。
舞台には、音大を辞めなかった私がいる。指は正確で、客席は満員。最後の和音が鳴ると、立ち上がる人までいた。
胸が痛むほど羨ましかった。
けれど舞台袖へ戻った彼女は、拍手が聞こえなくなる前に次の楽譜を開いた。花束には目もくれず、録音を聞いて間違いを探す。
鏡の前で「まだ足りない」と何度も呟いた。
楽屋の机には、母から届いたパンの写真があった。
私の世界で、母と二人で開いた店だ。
向こうでは母が一人で始め、一年前に閉じたらしい。写真の裏に、
「あなたの演奏を聴くと、店の朝を思い出します」
と書かれていた。
向こうの私が、壁越しにこちらの棚を見た。
焼き上がったばかりの丸パン、母のレシピ、娘が黒板へ描いた不格好な音符。
彼女は鍵盤の上へ手を置き、声にならない言葉を作った。
「一度、そっちで朝を迎えたい」
私は答えられなかった。
こちらの朝も、早起きと売れ残りと腰痛でできている。幸福だけではない。
ただ、娘が毎日「今日のパンは何の音?」と尋ねる。その質問を、私は好きだった。
鍵盤から指を離すと、壁は元に戻った。
翌朝、店の開店前にピアノの蓋を開けた。
娘へ簡単な曲を教えると、三小節目で間違え、二人で笑った。客が入り始めても、最後まで弾いた。
日曜の夕方だけ、店で小さな演奏会を開くことにした。
プロにはならない。逃げた過去も消えない。
それでも、弾かなかった人生と焼き続けた人生を、同じ店へ置くことはできた。
鳴らない鍵盤は、その後も音を出さない。
けれど押すたび、遠い拍手ではなく、オーブンの終了音が聞こえる。
今の私には、それがちょうどいい合図だった。
初回の演奏会には、母がいちばん前に座った。曲の途中でパンのタイマーが鳴り、私は一度手を止めた。客は笑い、娘が厨房へ走った。
演奏を終えると、母は「コンクールより忙しいね」と言った。私は「こっちは失敗すると焦げるから」と答えた。
拍手の中には、食器の音や子どもの泣き声も混じっていた。完璧な音ではなかったが、誰かの暮らしに届く音だった。