黄色い傘の絵本棚

小暮日和は児童書コーナーの前を三往復してから、黄色い傘を持つ司書に声をかけた。

「大人に絵本を選びたいんですけど、変ですか」

雨宮壱成は、濡れてもいない黄色い傘を腕に掛けたまま答えた。

「年齢制限はありません」

「二十九歳の姉に」

「年齢制限はありません」

「入院していて、字の多い本は疲れるらしくて」

「事情を足しても答えは同じです」

無愛想というより、言葉を必要最小限に削っている人だった。胸元の名札は少し曲がり、黄色い傘だけが場違いに明るい。

姉の千景は手術を控えていた。見舞いに行くたび、「元気になったら読む」と小説を積み上げる。日和はその言葉が怖かった。元気になれなかったら、という続きを考えてしまうからだ。

「励ます本は嫌です」と日和は言った。「頑張れとか、明日はきっととか。姉はもう十分頑張っています」

雨宮は絵本棚を見渡した。

「笑わせたい?」

「たぶん」

「泣かせてもいい?」

「それは、少し」

「眠ってもいい?」

日和は意外な質問に瞬いた。

「はい。途中で寝ても」

「では、最後まで読まなくても成立する本にします」

雨宮が選んだのは、雨の町を一匹の犬が歩く絵本だった。大きな事件は起きない。犬は軒下で雨宿りし、パン屋の匂いを嗅ぎ、知らない人の傘に入れてもらい、また歩く。どのページで閉じても、犬はその場所で休んでいるように見えた。

「これなら、寝ても置いていかれません」

日和が表紙を抱えると、雨宮は黄色い傘を差し出した。

「外、降っています」

「でも、これ司書さんのですよね」

「貸出処理はできません。次に来たとき返してください」

「年齢制限は?」

「ありません」

病室で姉は三ページ目まで読んで眠った。犬が青いベンチの下で丸くなる場面だった。日和は続きをめくらず、姉の呼吸に合わせて雨音を聞いた。

一週間後、黄色い傘を返しに行く。雨宮は傘を受け取り、持ち手の傷を確かめた。

「姉が、退院したら続きを読みに来るそうです」

「年齢制限はありません」

同じ言葉なのに、今度は未来の予約のように聞こえた。

雨宮は黄色い傘をまた腕に掛け、児童書棚の奥を指した。

「続きの本もあります。急がなくていいものばかりです」