鼻緒が切れた帰り道
陸上部のエースが、下駄の鼻緒を切って立ち尽くしていた。
百メートルなら誰より速いのに、祭りの帰り道では一歩も進めない。
「笑ったら置いていく」
「歩けない人が?」
彼女は浴衣の裾を持ち上げ、片足で僕を蹴る真似をした。白地に青い波の柄。学校ではいつもジャージなので、最初に会ったときは知らない人かと思った。
河原では最後の花火が終わり、帰る人が駅へ流れていた。僕らのクラスも先に行ってしまった。
僕はスニーカーの靴紐を一本抜き、切れた鼻緒に通した。
「応急処置」
「明日走れなくなったら責任取って」
「靴紐一本で故障するエースなら引退しろ」
彼女は黙って僕の肩につかまった。
結び目を作る間、雨上がりの土と火薬の匂いが混ざっていた。指先に浴衣の布が触れる。彼女が普段より静かなのは、転ぶのが怖いからだけではない気がした。
「最後の大会、見に来る?」
来週、彼女は県大会を走る。優勝候補だった。
「行くよ」
「来なくていいって言ったら?」
「もう約束した」
「してない」
「今した」
彼女は笑い、直した下駄で一歩踏み出した。紐は持ったが、歩幅は小さい。
人混みを避けるため、僕らは裏道へ入った。駅までは少し遠回りになる。彼女は何度も「遅い」と言いながら、僕より前へ出なかった。
途中で小さな花火が一発、遠くに上がった。
彼女が何か言った。音に消えて聞こえない。
「何?」
「大会で勝ったら言う」
「負けたら?」
「もっと言わない」
気になったが、追及しなかった。
県大会の日、彼女は自己ベストを出した。それでも二位だった。
表彰式のあと、スタンドの下で僕は冷たいタオルを渡した。彼女は顔を拭き、悔しそうに笑った。
「負けたから言わない」
「じゃあ、祭りの続きは来年だな」
彼女はタオル越しに僕を見た。
「来年は下駄じゃなくて、スニーカーで行く」
「速すぎて置いていかれそう」
「手をつなげばいいでしょ」
その言葉だけは、花火がなくても聞こえた。
帰り道、僕の片方だけ色の違う靴紐を見て、彼女はようやく声を上げて笑った。