『会議室〈白鷺〉の午後』
最終面接が終わる直前、採用責任者の真壁皐月が一通の匿名通報を読み上げた。
〈曽根崎冬馬は前職の顧客資料を持ち出している。採用すれば御社も被害を受ける〉
曽根崎は膝の上で指を組んだまま、「持ち出していません」とだけ答えた。
面接官の早乙女廉は、通報に添付された一覧表を見た。顧客名は黒塗りだが、列幅と誤字が曽根崎の職務経歴書と同じだった。
真壁は言った。
「前職の方しか知らない情報でしょう。残念ですが、選考はここで終了です」
「通報はいつ届きましたか」
早乙女が尋ねる。
「昨日です」
「作成日は三週間前になっています」
PDFの履歴には、初回保存が応募受付の四日前とあった。曽根崎の名がまだ会社に届いていない時期だ。真壁は、通報者が以前から彼を知っていたのだろうと説明した。
早乙女は会議室〈白鷺〉の予約記録を開いた。初回保存と同じ日、真壁は〈紹介候補・選考対策〉という非公開予約を入れていた。添付ファイルは〈競合候補への確認事項〉。その中に、匿名通報と同じ文章が、名前だけ空欄の状態で保存されている。
翌週、曽根崎の応募書類を真壁が開いた七分後、その空欄へ名前が入力された。さらに一覧表は、曽根崎の職務経歴書を採用システムから書き出して加工したものだった。ダウンロード履歴は真壁のアカウントに一件だけ残っている。
「紹介候補者を採るためですか」
早乙女が聞くと、真壁は「採用効率を考えた」と言った。
曽根崎は初めて真壁を見た。
「匿名の前職者は、最初から存在しなかったんですね」
早乙女は面接評価画面を閉じずに、審査担当者だけを変更した。
「曽根崎さんの選考は継続します。今日の評価は私が引き継ぎます。真壁さんは採用業務から外れてください」
真壁が紹介していた候補者は、役員の知人の子だった。予約記録には、内定日と想定年収まで先に入力されていた。早乙女はその候補者に責任を負わせず、選考を白紙からやり直すよう記録した。曽根崎の前職へ正式照会した返信も届き、持出し事故も懲戒歴もないと確認された。匿名文書より遅れて届いた実名の回答が、ようやく事実を追い越した。
会議室〈白鷺〉のドアが開いた時、退出を促されたのは応募者ではなかった。