おかえりを消す

櫛灘諒は、人気配信者のコメント管理を請け負っていた。荒らしを消し、個人情報を書いた者を追放し、空気を壊さない。画面の裏側で働く仕事だ。

その日の企画は、廃村に残る古民家からの夜間配信だった。家には「帰り子」という言い伝えがあり、遠くで死んだ者が盆の一晩だけ囲炉裏へ戻るという。村史を調べたスタッフが、モデレーター用チャットへ注意を送ってきた。

《固定コメントに「おかえり」と出ても、削除してはいけない》

諒は意味を聞いたが、返信はなかった。

午前零時、視聴者名のないコメントが最上段へ固定された。管理ログでは、固定したのは配信開始前に削除されたはずのアカウントだった。接続元は古民家の住所ではなく、諒の自宅になっている。

《おかえり》

配信者は気づかず、空の座敷を歩き回っている。視聴者が「誰を迎えてる」と騒ぎ始めた。住所特定につながる暗号かもしれない。諒は自宅の表示を見られたくなくて、管理画面からコメントを一度だけ削除した。

固定欄が空いた途端、囲炉裏の灰に小さな足跡が現れた。玄関の引き戸が開き、配信者の背後を濡れた男が通った。管理画面の視聴地域は、すべて諒の部屋の座標へ書き換わった。コメント欄には同じ文が何百件も流れた。

《おかえり》

《おかえり》

《おかえり》

すべて投稿者は諒のアカウントだった。

諒はアカウントを停止し、仕事を放棄して帰宅した。終電の車内で、配信者から《お前、先に家へ入った?》とメッセージが来た。無視した。

午前一時四十七分、自宅前に着く。鍵を出す前にスマートスピーカーの声がドア越しに聞こえた。

「おかえりなさい、櫛灘諒さん」

玄関は内側から解錠された。

スマホに住宅アプリの通知が表示される。

【23:12 櫛灘諒が帰宅しました】

【01:47 櫛灘諒が帰宅しました】

続けて、室内からもう一度声がした。

「先に帰宅された櫛灘諒さんが、お待ちです」

ドアスコープが暗くなった。向こう側から、誰かがこちらを覗いていた。