こたつの国境線
松葉瀬千夏の部屋へ芳賀野美灯が来ると、冬は必ずこたつへ直行する。
玄関でコートを脱ぎ、手を洗い、持参した菓子を卓上へ置く。そこまで済ませると、二人とも夕方までほとんど動かない。
その日、美灯が持ってきたのは、みかん一袋と塩味の煎餅だった。
「甘い、しょっぱい、甘いで永久にいける」
「途中でお茶を入れないと死ぬ」
「千夏の担当」
「客が入れて」
責任を押しつけ合い、結局、最初の一時間は何も飲まなかった。
こたつの中には見えない国境線がある。
千夏は右半分、美灯は左半分。足が触れると、先に伸ばした方が勝ちだと二人は昔から決めていた。
「そっち、侵入してる」
「領土が狭い」
「自分の足が長くなっただけ」
「三十過ぎて伸びる?」
「態度が」
テレビでは旅番組が流れていた。
雪の温泉、蟹料理、古い宿。
「行きたいね」
「遠い」
「来年」
「来年も同じこと言う」
そう言いながら、二人は旅館の名前を一度も調べなかった。
行くかもしれないし、行かないかもしれない。話しているだけで、雪景色の一部を借りたような気になった。
美灯は最近、婚活アプリを消したらしい。
「疲れた?」
千夏が訊く。
「通知が多い」
「理由それだけ?」
「それだけで十分」
千夏はみかんの白い筋を取りながら頷いた。
慰めも励ましもいらない話は、こたつの天板へ置いておけばよい。しばらくすると、煎餅の欠片やみかんの皮に紛れて軽くなる。
午後四時、ようやく千夏がお茶を淹れた。
急須から湯気が上がり、焙じた茶葉の香りが部屋へ広がる。
美灯は湯呑みを両手で包み、こたつの中で足を伸ばした。
「侵入」
「今日は休戦」
「条約は?」
「みかん一個」
最後の一つを半分に分けた。
外が暗くなっても、美灯はなかなか帰らなかった。
千夏も時計を見なかった。夕飯は冷凍うどんでよいし、洗濯は明日でもよい。
テレビから温泉の湯気が消え、ニュースが始まる。
部屋には柑橘と煎餅、焙じ茶の香りが重なっていた。
こたつの中で二人の足先が一度触れ、今度はどちらも引かなかった。
何も進まない午後は、寒い季節を越えるための、小さくて十分な停泊地だった。