なくしてはいけない鍵
「鍵はなくさないでくださいね」
古城を改装した宿〈百扉館〉の主人ガロムは、毎朝百本の鍵を磨く。客が戻れば番号を確かめ、酔客が違う部屋へ入らないよう案内し、曲がった鍵には油を差す。地味で几帳面な男だった。百の客室のうち九十九は普通だが、地下へ続く一枚だけは誰も開けたことがない。ガロムは毎晩その扉へ耳を当て、「今日も静かですね」と独り言を言った。
小盗賊のスイは、その鍵束を狙っていた。高価な魔法銀だと思い、帳場の陰へ忍び込んだ夜、先に鍵へ手を伸ばす影が現れた。
影は百錠侯。あらゆる封印を開き、地下の魔界門まで解き放つ悪魔である。細い指が親鍵に触れた瞬間、城の奥から何千もの錠が一斉に鳴った。地下では封じられた魔物たちが扉を叩き、屋根裏では昔の戦争で閉ざされた呪いが目を覚ます。百錠侯はそれを聞いて笑った。
ガロムは帳簿を閉じ、悪魔の手首をつかむでもなく、鍵束を一度だけ振った。
ちゃりん。
音はそれだけだった。だが百錠侯の胸、喉、影、記憶に次々と鍵穴が浮かび、すべてが同時に閉じた。悪魔は叫ぼうとして声を施錠され、逃げようとして距離を施錠され、最後には小指ほどの黒い鍵穴へ折り畳まれた。悪魔が開けかけた地下扉も、ガロムの視線一つで眠るように閉まり、内側の爪音まで止まった。
ガロムはそこへ親鍵を差し、半回転させる。鍵穴ごと悪魔は消えた。
スイは震えながら見ていた。王国の封印術には一つの対象へ十人の魔術師が要る。いまの術は世界中の「開く」という概念を一瞬支配していた。古い絵本にしか出ない大魔法使い〈鍵守〉の業だ。絵本の最後には、鍵守はすべての災厄を宿へ封じ、自らその主人になったと書かれていた。
「その親鍵、まさか……」
「指紋がついていますよ」
ガロムは布で鍵を拭き、床に残った焦げ跡へ蝋を垂らして磨いた。鳴り続けていた錠も静まり、魔界門の気配は最初からなかったことになった。
翌朝、スイは盗むつもりだった鍵束を、自分から帳場へ返した。ガロムは何も責めず、彼女へ物置部屋の掃除を頼んだ。そして新しい小さな鍵を手渡す。
「鍵はなくさないでくださいね」