ひびの器とラナンキュラス
笹舟万緒が陶芸工房を辞めようと思ったのは、卒業制作の六客がすべてひび割れた日だった。
温度記録に異常はない。師匠の柊木は「土の声を聞き損ねたな」とだけ言い、万緒は反論できなかった。半年かけた器を木箱ごと廃棄棚へ運んだ。帰宅してからも、指先には割れ目をなぞった感触が残り、退職届の文面を三度書いて消した。
ところが翌週の火曜、作業台に一輪のラナンキュラスがあった。花は、捨てたはずの器の一つに挿されていた。底のひびは薄い金色でつながれている。次の火曜にも、その次にも、別の器と花が一つずつ戻った。花弁の重なりは、割れ目を包む小さな蓋のようだった。
候補は三人だった。金継ぎも教える柊木、焼成日に最後まで残っていた同期の荒垣、失敗作を好んで買う常連の榛名。
万緒は戻った器を並べた。包み紙は窯番表の裏で、すべて「B棚」の欄だけ切り取られている。器の底を磨いた跡は、荒垣が使う左斜めの砥石傷。そして花の茎は、荒垣がいつも首に下げている真鍮定規と同じ七センチだった。
四本目の火曜、万緒は廃棄棚の陰に座った。
荒垣は木箱を抱えて現れた。逃げる代わりに、その場へ正座した。
焼成前、荒垣は自分の札と万緒の札を取り違えた。B棚は火が強く、万緒の薄い器には温度が高すぎた。気づいたのは窯出しのあとだった。
「すぐ言うべきだった。でも、万緒が『これが割れたら辞める』って話してるのを聞いて」
荒垣は夜間の修復教室へ通い、一客ずつ直していた。全部戻してから謝れば、辞めずにいてくれるかもしれない。そんな身勝手な順番を選んだという。
万緒は怒る準備をしていた。それなのに、金の線はひびを隠さず、六か月の形を丁寧に残していた。
「五客目からは、一緒に直す」
「許してくれるの?」
「まだ。だから、隣でちゃんと困って」
最後の一客を二人で継いだ夜、柊木が黙って新茶を置いた。万緒は最初に戻った器へ注ぎ、ラナンキュラスを眺めながら一口飲んだ。
「ひびの味は、しないね」