アンコールを命じない将軍

王立音楽堂の舞台裏で、ミノアは右手を開いては閉じていた。

古傷のある指が冷えて、鍵盤を押すたび痛む。だが今夜は戦勝記念演奏会だ。最後の曲を弾き終えるまで、弱音は吐けない。

客席最前列のハルヴァルト将軍だけが、その動きを見ていた。

休憩に入ると、彼は舞台裏へ温めた革手袋を届けさせた。締めつけが苦手なミノアのため、指先を広く作らせたものだった。

「以前、細い手袋では痺れると言ったな」

「そんなことまで」

「必要だから覚えた」

敵軍の降伏交渉を三分で終わらせた無表情な将軍が、手袋の温度だけは熱すぎないか尋ねる。

演奏は成功した。最後の和音が消えると、満員の客席からアンコールの拍手が湧いた。

司会者が舞台へ駆け寄る。

「将軍閣下へ捧げる特別曲を、もう一曲!」

ミノアは手袋の中で指を握った。

「弾きません」

司会者は笑顔のまま小声で言う。

「皆が待っています。閣下に特別に支援されている恩返しでしょう」

「今夜の予定分は弾きました。手が痛いんです」

拍手は止まらない。司会者が彼女を舞台中央へ押し出そうとした瞬間、ハルヴァルトが立った。

その姿だけで客席が静まる。

「終演だ」

「ですが閣下、観客の期待が」

「切符は予定された演奏への対価だ。彼女の痛みを買ったわけではない」

将軍は舞台へ上がると、ミノアの腕を取らず、階段の下に立った。

「降りるか。ここで挨拶だけするか」

「降ります」

「分かった」

司会者が、せめて将軍へ礼を述べるよう促す。ミノアは首を振った。

「今は休みたいです」

ハルヴァルトは彼女の進路を空け、観客へ向き直る。

「支援は服従の前払いではない。ミノアが弾かないと言ったあとの拍手は、称賛ではなく強要だ」

彼が終演の鐘を一度鳴らす。

階段の下には、人目を避けて休める小部屋が用意されていた。強い花香が苦手なミノアのため、祝い花も置かれていない。

「医師を呼ぶか」とハルヴァルトが聞く。

「今日は温めれば治ります」

「なら呼ばない」

心配を理由に、彼女の身体へ勝手に人を近づけることもしなかった。

「今夜の最後の曲は、彼女が自分で終えた曲だ。追加を命じる者は、私の客ではない」