カラメルを割る匙

蓮沼璃子が洋菓子店「明星」で注文したのは、表面を濃いカラメルで固めた昔風の焼きプリンだった。

会社の相談窓口へ送るメールを、下書きにしたまま三日が過ぎている。上司の発言を録音した音声もある。それでも送信すれば大事になる、冗談だったと言われる、部署に居づらくなる。考えるほど、画面の上で指が動かなくなった。録音には、自分が曖昧に笑う声まで入っている。その笑いを根拠に「嫌ではなかった」と判断されるのではないかと思うと、聞き返すことさえできなかった。窓口の説明には「事実確認に必要な資料を添付」とあり、正しい訴え方まで試されているようだった。

店主はプリンを厚いガラスの器ごと箱へ入れ、木の匙を添えた。ところが蓋を閉める直前、手を止める。

「こちらでは、上が割れませんね」

木の匙を戻し、代わりに短い金属の匙を紙で包んだ。匙の背でカラメルを軽く叩くと、硬い表面が澄んだ音を返した。

「器は丈夫ですか」

「匙で叩く程度なら」

店主は箱の外へ「ガラス」と大きく書き、その下へ「上面は硬め」と追記した。欠点でも秘密でもなく、扱うために必要な情報として。

璃子は、自分の録音にも同じことが言えると思った。聞けば傷つく声が入っている。けれど、だから何も書かずに渡すのではなく、日時と場所と前後の経緯を添えればいい。誰かに扱わせるための情報に変えられる。

会計後、璃子は店内の丸いテーブルに箱を置き、相談窓口へのメールを開いた。添付ファイル名を「録音」から「六月十二日_会議室B」に変更する。本文には、発言を受けたあと自分が何を断り、翌日どの業務から外されたかを箇条書きにした。

送信ボタンの直前で、カラメルの表面を金属の匙で叩いた。

一度目は、音だけだった。二度目で細い亀裂が走り、三度目に中央が割れた。甘い苦さが、淡い卵色の中へ沈む。

璃子はメールを送った。会社がどう動くかは分からない。自分が明日から強くなるわけでもない。

ただ、下書きという固い膜の内側に閉じ込めていたものへ、ようやく匙が届いた。