チュートリアル鶏の休日
砥部結実は、頼まれると断れない。
職場では資料を直し、町内会では回覧板を配り、姉の子どもを休日ごとに預かった。疲れた夜に遊ぶのは、何も考えず進める冒険ゲームだった。
最初の村には、蹴ると金貨を落とす鶏コケ丸がいる。百回蹴れば〈根気ある初心者〉の称号がもらえる。
結実が七十三回目の蹴りを入れたとき、コケ丸が振り返った。
「今日は休みです」
「鶏に休日はないでしょ」
「では、勇者にはありますか」
翌朝、村のNPCは全員休んでいた。武器屋は昼寝し、門番は釣りに行き、魔王討伐を頼む村長は温泉へ向かった。掲示板には〈本日のお願い受付は終了しました〉とある。
プレイヤーたちは激怒した。運営は緊急イベントだと誤魔化したが、NPCたちはイベント報酬さえ拒否した。
結実は仕方なく、コケ丸と村外れに座った。クエスト表示のない丘は、驚くほど退屈だった。十分もすると、結実は何か頼まれたくなった。頼まれている間だけ、自分が必要な人間だと思えたからだ。
「魔王が来たらどうするの」
「明日考えます」
「困る人がいるよ」
「困る人が、頼み方を覚える日です」
現実で姉から電話が来た。今すぐ子どもを迎えに行けという。結実は反射的に「いいよ」と言いかけ、コケ丸の丸い目を見た。
「今日は無理」
電話の向こうが静まった。
「どうして?」
「休みだから」
断ったあと、結実は罪悪感で何度も携帯を見た。だがコケ丸は草をつつきながら、謝罪も励ましもしなかった。
世界は滅びなかった。姉は不機嫌になり、別の預け先を探した。会社の同僚も、結実が残業を断ると自分で資料を直した。町内会は配布担当を三人に増やした。
一週間後、ゲームは修正され、村人は働き始めた。コケ丸も元の位置へ戻り、蹴れば金貨を落とした。
結実は一度だけ近づいたが、蹴らなかった。
称号一覧には、見覚えのない項目が増えていた。
〈休める初心者〉
取得条件は空欄だった。
その日、結実はゲームを閉じ、昼まで眠った。目を覚ますと何も解決していなかったが、何も壊れてもいなかった。