ヘルメットの社名
校舎改修の見学会で、御影野沙都子は白いヘルメットを選んだ。
「主人が施工会社の現場統括だから、工事のことは私に聞いて。安全管理も素人には難しいのよ」
木守ヶ谷佳映が黄色い来客用ヘルメットを手に取ると、沙都子は笑った。
「佳映さんのご主人、小さな設計事務所だったわよね。建築家って聞こえはいいけど、実際に建てるのはうちの主人だから」
佳映は「今日は夫も来ます」とだけ答えた。
屋上へ出ると、沙都子の夫・瀬越原孝成が、作業員を整列させて待っていた。彼は妻を見つけても手を振らず、後から来た佳映の夫へ駆け寄った。
「木守ヶ谷社長、最終検査をお願いします」
木守ヶ谷理臣は、施工会社を含む建設グループの代表取締役であり、校舎改修の基本設計を手がけた建築家だった。個人名の設計事務所は小さいが、創業家の株式を引き継いだグループ全体は国内外で空港や病院を建てている。
沙都子の口が開いたままになる。
「孝成は現場統括でしょう? 社長の次くらいに偉いって」
孝成は声を落とした。
「現場統括は工区ごとにいる。社長は会社全体の責任者だ」
検査中、理臣は廊下の手すりが子どもの手には太いと指摘した。佳映の息子が以前、模型で提案した部分だった。理臣は現場へ変更を命じるのではなく、孝成へ安全性と工期を確認し、全員の意見を聞いて決めた。
沙都子は、教師へ配っていた名刺を隠そうとした。そこには〈瀬越原建設・社長夫人〉と印刷されている。
孝成が見つけ、顔色を変えた。
「会社名も役職も勝手に使うな。取引先にも配ったのか?」
沙都子は佳映へ向き直った。
「同じ建築関係なら、細かい肩書は似たようなものでしょう」
佳映は、黄色いヘルメットの顎ひもを締めた。
「似ているなら、どうして色だけで私を素人と決めたの?」
竣工銘板の覆いが外される。設計・木守ヶ谷理臣、施工責任者・瀬越原孝成と、役割が正しく刻まれていた。
孝成が社長へ一礼し、沙都子の偽名刺をその場で破棄した瞬間、夫のヘルメットで頂点に立ったつもりの沙都子だけが、社名の下に並ぶ本当の順序を知った。