七番席のスパイク

最終電車の指定席七番に座ると、瀬尾陸のスマートフォンへ未来の自分から着信が入った。

『スパイクを守れ。終点まで持っていけば、おまえは代表になる』

 足元の紙袋には、決勝で使う新品のスパイク。五分後、列車が終点へ着く直前、必ず何かが起きた。

 一周目は酔客が吐き、避けた拍子に片方をホームへ落とした。

 二周目は網棚から水が漏れ、革が染みた。

 三周目は少年が紙袋を取り違えた。

 傷がついた瞬間、電車は発車前へ戻る。車内販売のない終電で、なぜか毎回、売り子が同じ声を上げた。

「勝利の記念品はいかがですか」

 陸は七番席から動かず、袋を胸に抱いた。四周目、ようやく無傷のまま残り十秒まで来た。未来の声が笑う。

『それでいい。明日の決勝で二得点。海外移籍。十年は安泰だ』

「そのあと、どうなる」

 沈黙ののち、雑音混じりの声が答えた。

『右膝を壊す。だが名は残る』

 陸は二十三歳だった。下部リーグから上がる最後の機会。家族は借金して遠征費を出した。監督は「明日が人生を決める」と言った。代表になれるなら、膝の一本くらい払えると思っていた。

 売り子が通路を戻ってきた。顔は見えず、ワゴンにはトロフィー、新聞の一面、手術同意書が並んでいる。

「勝利の記念品はいかがですか」

 陸は気づいた。ループはスパイクを守るためではない。未来の自分が、過去の足を何度でも同じ道へ押し込むために作った保険だ。終点に無傷で運べば、輝かしい十年が確定する。捨てれば、その未来ごと消える。

 残り五秒。

『守れ。俺を消すな』

 陸は紙袋から白いスパイクを出した。新品の革の匂い。踵には、家族全員の頭文字が縫ってある。

 窓を少し開け、片方ずつ夜へ放った。

 スマートフォンから、スタジアムの歓声が遠ざかる。画面に並んでいた代表歴も契約金も消え、最後に未来の自分の顔が消えた。

 終電は零時を越えた。

 翌日の決勝で履く靴はない。契約も、おそらくない。七番席の床には、ちぎれた家族の頭文字だけが残っている。

 陸はそれをポケットへ入れた。終点で降りると、膝はまだどこも痛くなかった。