三番の子守歌
篝谷文弥は、姉の産後を手伝うため実家へ戻った。二十三歳。夜泣きする姪を抱き、動画で覚えた子守歌を流しても効果がなかった。
仏壇の引き出しに、祖母のカセットと歌詞カードがある。篝谷家の子どもは皆その歌で眠ったらしい。歌詞は二番まで印刷され、裏に手書きの注意があった。
《子守歌の三番を、歌ってはいけない》
姉は「三番を歌うと、歌った人が親に数えられる」と祖母から聞いたという。文弥は、子守を押しつけないための昔の脅しだと思った。
カセットを音声復元アプリへ取り込むと、消されたはずの三番がノイズの下から現れた。歌詞は「この子の名をもらう」「泣く声を返す」「母を外へ出す」という短い三行だった。復元ファイルは自動で姪のベビーモニターへ同期された。
家の母子手帳を調べると、三番を歌った者の名が母親欄へ後から書き足されている。祖父の名前も、曾祖叔父の名前もあった。子どもの実母は死亡していないのに、続柄だけ《元の母》へ変えられていた。
午前三時、姪は一時間以上泣き続けた。ベビーモニターの泣き声分析は《空腹》《眠気》ではなく《親の不足》と表示し、部屋にいる大人の数を一人少なく数えていた。姉は熱を出して眠っている。文弥は二番まで歌ったが、泣き声は強くなる。三番の最初の音を口にすると、赤ん坊は息を止めたように静かになった。
怖くなりながらも、文弥は一度だけ三番を最後まで歌った。
姪は目を開け、文弥を見て笑った。寝室のベビーモニターには《保護者を更新しました》と表示された。
翌朝、姉の母子手帳アプリから出生記録が消えていた。父親欄には姉の夫、母親欄には「篝谷文弥」。訂正申請を押しても、顔認証が文弥を母親として通した。
姉は冗談だと言ったが、姪を抱こうとすると激しく泣かれた。文弥が手を伸ばすと、すぐ泣き止む。
出勤中、家族チャットへ姉から音声が届いた。まだ言葉を話せないはずの姪が、はっきり二度呼んでいた。
『おかあさん。おかあさん』
再生画面の話者名は《篝谷文弥の娘》になっていた。