三百円の発明
自動車部品工場の設備売却会議で、柚木沢拓人は期間工の制服を着たまま呼ばれた。彼が考案した検査治具は、ねじ一本の締め忘れを音で見分ける。会社は特許を取得し、その権利を海外メーカーへ売る予定だった。
発明者は工場長。拓人については「作業上の改善提案をしただけ」と説明されている。
法務部は、拓人が権利を会社へ譲渡した証拠として受領書を示した。対価欄は三百円。拓人の署名と認印がある。
「改善提案報奨金として受け取っていますね」
拓人は給与明細を出した。振込額は確かに三百円。ただし名目は「安全標語参加賞」だった。発明対価ではない。
さらに受領書の日付は、拓人の契約終了から二日後。その日は入門証も失効し、工場へ入れない。署名する場所も機会もなかった。
工場長は郵送で受け取ったのだと言った。
拓人は認印部分を拡大した。前年の勤怠届に押した印影と、欠け、朱肉のむら、紙の繊維まで完全に一致している。印鑑を押し直したのではなく、勤怠届の画像を切り取って貼ったものだった。署名も同じ筆跡ではなく、画像の輪郭に灰色の画素が残っている。
売却先の担当者が尋ねた。
「本当の対価はいくらを希望しますか」
拓人は少し迷い、三百円の明細を折り畳んだ。
「金額を決める前に、発明者を決め直してください」
工場長は、期間工一人のために雇用を守る取引を潰すなと叫んだ。
拓人は治具の特許番号が書かれた契約書を見た。
「ねじ一本の欠落を見つける装置です。人一人の欠落を見逃したら、特許の意味がありません」
拓人の班長は俯いたまま、治具の試作記録を提出した。最初の木製模型を作った夜、拓人が寸法を口頭で読み上げ、班長が記録したものだった。欄外には「柚木沢案、音の反射を利用」とある。工場長の名は、翌週の量産申請書から初めて現れていた。
売却責任者は代表印を持つ手を下ろした。三百円で買ったことにされた発明が、三百億円の決裁を止めた。