二つ目の目覚まし
予約したタクシーが来るまで、あと十二分だった。
御園香澄は、樋口悠成の部屋でブラウスのボタンを留めた。会うのはいつも夜で、眠るのは悠成のベッドなのに、目を覚ますのは自分の部屋だった。午前五時前に配車を呼び、彼が起きる前に帰る。洗面台の水滴を拭き、借りたタオルを畳み、最初から一人だった部屋のようにして出た。
「今日も帰るの?」
「朝は忙しいから」
明日は休日だった。それを悠成も知っている。彼は来週から長期研修に入り、三か月この部屋を空ける。次に会える日は決まっていなかった。
ベッド脇の時計は四時四十八分。窓の外はまだ暗い。香澄は化粧ポーチを鞄へ押し込んだ。
「俺の寝顔が嫌い?」
「そうじゃない」
「自分の寝顔を見られるのが嫌?」
香澄の手が止まった。
以前、半年だけ同棲した人がいた。夜のデートでは「かわいい」と言ったのに、朝の寝癖や、冷蔵庫の前でぼんやりする姿を見るようになると、「生活感が無理」と笑った。最後には、好きだったのは外で会う香澄だけだと言われた。それ以来、朝まで残らない。整えていない自分を見せなければ、嫌われる瞬間も来ない。
「朝は忙しいの」
「分かった」
悠成は引き止めず、スマートフォンでタクシーの到着位置を確認した。その静かな了承が、香澄にはかえって苦しかった。いつもなら安心するはずの逃げ道が、今夜だけは別れの予行演習に見える。
配車アプリに〈あと五分〉と表示された。
悠成は目覚ましを七時に設定し、枕元へ置いた。
「起きたとき、いなくても責めない。でも、いるかもしれないと思って寝ていい?」
香澄は返事の代わりに、自分のスマートフォンを開いた。配車をキャンセルし、七時五分に二つ目のアラームを設定する。化粧ポーチを鞄から出し、洗面台の端へ置いた。
「朝は忙しいんじゃない。朝までいたいのが怖かった」
ベッドへ戻ると、悠成は照明を消した。暗闇の中、二つの目覚ましだけが、同じ朝を待つ時刻を表示していた。香澄は寝癖のまま笑えるか分からなかったが、確かめる前に逃げることだけはやめた。