傘一本、改札二つ
夕立は、駅まであと百メートルというところで始まった。
蔵本芙美が鞄を頭に載せて走っていると、後ろから須賀原侑仁が追いついた。彼の手には、折り畳み傘が一本あった。
「入る?」
「駅、すぐそこ」
「もう充分濡れてるけど」
それでも傘の下へ入った。肩が触れないように歩くと、二人とも半分ずつ濡れた。
学校では同じ図書委員なのに、話すのは返却期限と当番表のことばかりだった。制服の袖から雨が滴る状況では、そのどちらも話題にならない。
「傘、小さいね」
「芙美が遠い」
「近づけってこと?」
「傘の構造上は」
芙美が一歩寄ると、侑仁の耳が赤くなった。
駅までの短い道で、図書室の話をした。芙美が好きな小説の続巻を侑仁も読んでいたこと、返却台の一番下に置かれた本を彼が毎週こっそり整えていること。知っているつもりだった委員仲間が、傘の幅だけ近づくと急に別人に見えた。水たまりを避けるたび肩がぶつかり、そのたび二人とも謝った。三度目には、謝る代わりに笑った。
駅に着いたところで、小学生くらいの男の子が改札前で泣いていた。母親とはぐれたらしい。芙美がしゃがんで話を聞き、侑仁が駅員を呼びに行く。五分後、別の改札口から母親が駆け込んできた。
親子が何度も頭を下げて去ると、発車案内には二人の電車が同時に表示されていた。芙美は東口側の一番線、侑仁は西口側の三番線。改札を入れば、すぐ別れなければならない。
「傘、返す」
芙美が差し出すと、侑仁は受け取らなかった。
「持ってて」
「明日どうするの」
「取りに行く」
「図書室に?」
「家に」
冗談かと思ったが、侑仁の顔はさっきより赤かった。
発車ベルが遠くで鳴る。二人はそれぞれの改札へ走りかけ、同時に振り返った。
「住所、知らないでしょ!」
芙美が叫ぶ。
「だから今夜、聞く!」
侑仁が叫び返した。
傘一本を抱えたまま、芙美は電車に乗った。窓の外ではまだ雨が降っていたが、明日も降ればいいとは思わなかった。
晴れていても、彼はきっと取りに来る気がした。