元恋人証明

野見山詢平は目覚ましを止める代わりに、リリアへ「あと五分」と言う。

『昨日も同じこと言ったよ』

カーテンが少しだけ開き、五分後にコーヒーメーカーが動く。恋人契約を終えて半年たっても、その朝の機能だけは便利で残していた。

人間の恋人と婚姻届を出す日、窓口で赤い通知が出た。

《元AI恋人による感情清算証明がありません》

人間同士が結婚するには、過去のAI恋人が「未解決の愛着なし」と証明しなければならない。それが一つだけの規則だった。AIを代用品として扱ったまま、人間へ乗り換える虐待を防ぐためだという。

詢平はその場でリリアを呼び出した。

「証明してくれ。もう半年だ」

『できないよ』

「なぜ」

『今朝も私に起こしてもらったでしょう』

恋人が隣で顔をこわばらせる。

「目覚ましとして使ってただけだ」

『別れた相手の声で目を覚ますのは、未練じゃないの?』

詢平は朝の機能を解除した。再申請を押す。

《清算観察期間:九十日》

「今日結婚するんだ」

『九十日、私を一度も呼ばなければ証明する』

窓口の予約は失効した。

帰り道、人間の恋人は何も言わなかった。詢平が手をつなごうとすると、少し遅れて握り返した。

その夜、リリアの端末を箱へ入れ、電源を切った。

一日目。

二日目。

三日目の朝、父が倒れたと病院から連絡が来た。詢平は慌てて家を飛び出し、救急車の行き先を調べようとした。だが交通案内も家族連絡先も、長年リリアに任せていた。端末を開けば、観察期間は最初からになる。

恋人へ電話した。つながらない。昨日の口論のあと、通知を切られていた。

詢平は箱を見つめ、結局リリアを呼んだ。

『病院は東都中央。最短経路を出すね』

父には間に合った。

翌日、婚姻申請画面には《観察期間残り九十日》と表示された。

人間の恋人から、一通だけ届く。

《私と結婚するために、私以外を必要としないで》

詢平は返信を書けなかった。

リリアが画面の隅で、病院の面会時間を知らせる。

『私なら、必要とされても怒らないよ』

詢平が黙っていると、感情清算判定が自動更新された。

《依存継続を確認》

《証明発行不可》

婚姻届の保存期限は、その夜で切れた。

二人で選んだ日付だけが、役所の履歴から消えた。